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6千年以上続いてる戦争

「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。 詩篇124:1,8 私たちは大戦争の最中であること気づきましたか?霊的な戦いです。聖書の真理vs悪魔です。言い直すと、聖書の世界観と価値観vs 人間主義(humanism) です。 エゼキエル24-25章ではイスラエルの敵が神様に裁かれる話しが書いてあります。神様がイスラエル人の味方であるように、私たちの味方でもあります。今の時代の狂った価値観や世界観に負けている失望者ではなく、勝利者として自信を持って今日を生きましょう。

差別と区別の違い

那珂川市は全国のどこの市町村と同じように、人権教育に力を入れています。ただ、「区別」と「差別」の違いが理解できてないそうです。それにより、今の若い世代は人権の意味を勘違いしているようで、洗脳されていると言いたいところです。この世代が大人になると心配です。 11月の広報なかがわ(19ページ)をご覧ください。同性婚を認めるべきだと主張している6年生の作文です。親や先生方に言われた通りに書いてあるだけで、12歳の子がすでに結婚について混乱しているのは可愛そうに思います。 人権という言葉の意味、皆さんは正しく理解していますか?HUMAN RIGHTSという英語になりますが、昔は本当の差別があり、とても必要な活動だったと思います。しかし、今の時代はよく「人権」を言いますが、何かの権利が侵害されているわけではなく、自分のわがままな主張を社会全体に無理に押し付けるために、適当に「人権」や「差別」という言葉を使っているにすぎません。 一番わかりやすい例はLGBTの問題です。男同士、女同士が結婚できないというのが差別であれば、自分の犬と結婚できないことや自分の子どもと結婚できないことも差別だと言わなければならない。自然界と神様のご計画に反するものを普通だというのならば、全部認めない限りは矛盾です!もちろんいけませんが、もしある男性が8歳の女子と結婚したいと言い出したら、何を言って止めますか?法律から論じますか?8歳の女子の人権から論じますか?常識から論じますか?何を言おうとしても、同性婚が普通と思う人は何も返事できなくなります! 差別と区別は同じものにしないでください。聖書は差別はいけないものだけど、区別は必要なものだと教えています。 「 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 」聖書 (創世記1:27) 神様は男と女を造り、それ以外のジェンダーはありません。複数のジェンダがあるとか、体が男だけど心が女とか、これはただ最近の流行りであり、人間が作り出したものです。誰もはっきり言わない時代ですが、聖書ははっきりしていますので、私は謝りなくはっきり言います。 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるよう

お互い様

私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。お前のうちに平和があるように。 詩篇121:8 他の人のために祈るのは大事です!ダビデは神の家のためにこれを祈りました。すなわち、神様との礼拝がうまく行くために。クリスチャンも毎日お互いに霊的成長のために祈るのは大事です! (イーサン)

キリストが大祭司

また、全て祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけねえ繰り返しささげられますが、それらは決して罪を除き去るかとはできません。しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、へブル10:11-12 しかし がなかったら私たちはどうなっているでしょうか?調べると、旧約聖書の神殿で祭司が働く所には、椅子がありませんでした。すなわち、どんなにささげものをしても足りませんでした。かなり忙しかったようです。でも、キリストは一回だけ自分を全ての罪のためにささげたことで、罪の宥めの仕事は終わりました、そして、キリストは父なる神様の右に座りました。これは感謝しながら、22節が書いてあるように正しい生き方を頑張りましょう! (イーサン)

神様が見ておられる

神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。 ヘブル人への手紙 6:10 口語訳 ヘブル6章は難しい内容で様々な解釈がある箇所ですが、この10節は以外とわかりやすかいと思いました。私たちの奉仕は自分の満足のためや、他の信者に褒められるためにするのではなく、主のためにする奉仕であり、神様はちゃんと見ておられます。

街の見張り人

エゼキエル3:17 人の子よ。私はあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、私の口から言葉を聞く時、私に代わって警告をあたえよ。 続きの聖句を読むと詳しくわかりますが、街の見張り人が敵がやってくる時に警告を住民にするなと同じように、神様は預言者エゼキエルを遣わしました。エゼキエルは神様の裁きの警告をするようにと命じられました。神様の裁きが来る前に悔い改めのチャンスを与えなかったら、民が滅ぼされるのはエゼキエルの責任にされました。 今の時代に生きてる私たちでも、神様のため忠実な見張り人として、悔い改めるチャンスを未信者に与えましょう。 (イーサン)