7.05.2021

神の家族って、いいなあ。

聖書朗読 ガラテヤ6章 10節 ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。 信仰の家族があって、私は幸せです!例え、兄弟や親戚が一人もいなくても、私たちクリスチャンには教会があれば、家族に恵まれてます。私は兄弟や親戚は大勢いますが、距離が離れているため、そこまで親しい関係は持ってません。でも、信仰の家族には機会がある限り善を行いたい。それにより、その家族関係が親しくなり、それを見て、家族に加わりたい人たちがいると思います。

7.04.2021

あらかじめ定められ事

聖書朗読: ガラテヤ5章  5:22-23 しかし、御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。  最近のローマの学びでは、私たちの心の中に起きる内戦について学んでいます。救われた前の古い人(肉)と新しくされた霊の闘いですが、この闘いを避ける方法はありません。クリスチャンは御霊に導かれるはずであり、この導きに従えば勝利が得られます。  私たちが悔い改めるように召され、神様の恵みにより義認とされました。しかし、そこが終わりではなく、始まりです。イエス様の真似をして生きるようにあらかじめ定められました。イエス様の真似をし、聖霊に従えば、「御霊の実」がますます実ります。この様な実は外側の形式的なものではなく、内から溢れ出て、回りの人まで幸せにする実です。 今日は一緒に「あらかじめ定められた事」を学びましょう。

7.02.2021

教会内の上下関係について

聖書朗読 ガラテヤ3章  28節 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。   社会には上下関係が厳しいですね。または、教育歴や資格の有無など、様々なものを見て人の価値を判断する。しかし、神様の家族である教会は違うはずです。この聖句の前は福音に対しての教えであり、私たちの信仰の故に神の子とされた事を教えています。国籍などは関係なく、すべての人がイエスキリストを信じるならば救われます。そして、救われたものは同じアブラハムの子孫、キリストの花嫁です。私たちを義と認めてくださった神様に感謝します。 教会の中には役割の区別があっては大丈夫です。この聖句の解釈を間違う教会が多いですので、一節だけを取り出し、前後を読まないのは危険ですから、ぜひ今日は3章の全部を読んでください。 良い一日を!

6.30.2021

生まれる前から今日の一日は定められた

聖書朗読 ガラテヤ1章 15 しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が。。。 バウロがこの手紙の最初に自分の証しをしています。そこで、自分の救いと使徒の召しが、生まれる前から定められていた神様のご計画だったと主張しています。私たちも今日の一日に何が起きるかわからないが、すべて神様の計画とおりになります。その計画が私たちが生まれる前から定めました。色んな選択が目の前にあるかもしれませんが、それを神様に委ねて、導かれたとおりに動きましょう。例えば、パウロのように神様に反して生きている時は救われるまで皆同じです。または、クリスチャンとして神様に従いたいがどうしたらいいかわからない時があって間違った選択をしたら、神様の恵みがあります。それを気づいたときに、また正しい方向に進めばいいです。

6.28.2021

清い花嫁のように。

聖書朗読 第二コリント11章 2節 私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。 偽者の先生方がパウロが教えていた事を否定して、コリントの教会を惑わそうとしていた。彼らはだれを信じたらいいのかを分からなくなっていました。そこで、もう一度、偽者に気をつけるようにパウロが注意を呼びかけました。自分がどこまでコリントの信者の事を深く思っているかを伝えるために、自分の役割は、婚約中の娘を守るお父さんのような役だと言いました。 新郎と無事に結構が完了するまで、娘が処女のままであるように、お父さんは娘を守らなければならなかった。教会はキリストの花嫁です。パウロがこの町に福音を語り、多くの者が救われましたので、パウロがお父さんの様に責任を感じました。私たちも清い花嫁の様に、イエス様が迎えに来られるのを待ちましょう。

6.27.2021

言葉がない

聖書朗読 第2コリント9.10章

9:15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。

言葉にできないほどの喜びを経験したことありますか?何かで深く感動し言葉が出ないと言う経験は誰でもあるでしょう。パウロは突然、深い感謝な気持ちで神様をほめたたえています。この「賜物」は神様の恵みの事だと思います。私たちを救うために、神様がひとり子をお与えになりました。イエス様が十字架の上で自分のいのちをささげることにより、私たちの罪が赦されたのです。この様な愛と恵みはあまりにも素晴らしくて、言葉で説明するのは難しいです。 「丁度いい言葉がない」という悩みは2カ国話せる人は何度も経験してますね。私は語彙力が足りない理由で、英語で言えるのに日本語で言えないという経験は沢山しています。そのちょうどいい言葉が分からない理由で、言いたい事を遠回りで言わなければならなく、話しが長くなるのです。しかし、パウロが言っているのは、「言い方が分からない」問題ではありません。ただただ、神様の恵みが素晴らしすぎて、表す言葉がない!感謝します。

6.26.2021

貧しさの中の富

聖書朗読 第二コリント8章  9節 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 イエス様が天国の富と栄光を捨てて、この世に来られただけではなく、この世にでも貧しくなられて、へりくだって生きていました。そして、十字架で自分の身をささげました。今の多くの人が自分の特権や自由、人権等ばかり主張する時代です。自ら自分を低くし、人に仕える者は少ないです。いるとしても、形的な文化のもので聖書が教える謙遜と異なります。私たちはイエス様に見習い、自分自身をささげ、または、献金等を通して主の働きや他の人を自分より優先しよう。

6.25.2021

聖別した生き方

聖書朗読 第二コリント6.7章 6:17,18 それゆえ、彼らの中から出て行き、  彼らから離れよ。  ──主は言われる──  汚れたものに触れてはならない。 そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、 わたしはあなたがたの父となり、 あなたがたはわたしの息子、娘となる。  ──全能の主は言われる。」 パウロは旧約聖書の言葉を引用してますが、ここで引用してるのは、教会時代の今にも適用できる原理だからです。聖別は非常に大切です。未信者と信者の生き方や価値観にははっきりと見える違いがあるはずです。聖別された私たちは神様の子どもと呼ばれる特権な与えられています。感謝します。

6.24.2021

見えないものに目を留める生き方

聖書朗読 第二コリント4、5章 4:18 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。 私たちは目の前にあるもの、日々の生活でいつも忙しくしています。どうしても今日しないと行けないものがあるでしょうが、そうではないのに優先してしまうこともします。目で見えるすべての物は一時的なものであり、今日それを大事にしても、近いうちにボロボロになります。霊的な物は目で見えないが、永遠に残るのですから、それを優先しましょう。神様の御言葉、祈り、人の救い等。少しの時間でも、互いのために祈り、一日をスタートしよう。

6.23.2021

聖書+〇〇はだめ!

聖書朗読 第二コリント2,3章 2:17 私たちは、多くの人たちのように、神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。 コロナ注射もそうですが、料理やDIYなど、色んな液体を薄めて使いますね。この割合を間違うと、大変な結果になります。しかし、聖書は違います。聖書は完全な、完璧な神の御言葉であり、何かを付け加えることは必要ありませんし、何かと混ぜたりできません。「聖書+〇〇」ではなく、「聖書だけ」が人生の手引書です。

6.21.2021

「機会があれば。。」を考え直す

聖書朗読 第一コリント16章 9節 実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです。 「機会があれば、〇〇します」とよく思いますが、パウロが考えてた「機会」と私が想像してたものとは大夫違います。パウロは福音を語る機会(門が開かれている)があるから、エペソに留まると言ったわけですが、これはどうやって判断したかというと、迫害です。迫害があるから、門が開かれていたとパウロがわかったのです。パウロがどこに行っても、福音を語りました。そして、多くの人が信じました。その数が多ければ多いほど、反対する人も多かったのです。反対者がいる事を証拠として、「ここに留まるべきです」と決めました。今の時代と考えが違いますね!試練があれば逃げて、すべてが上手く行ってると、「門が開かれた」と判断しますね。迫害や試練を恐れずにパウロと同じ目で状況を見ましょう。

6.20.2021

動かされることなく。。。

聖書朗読: 第一コリント15:28-58  58節 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。 ボード先生が最後のメッセージで引用した聖句ですが、その次の週に伝えましたように、これは私の一番好きな聖句です。私たちをサポートしているアメリカの諸教会に訪問に行く時「祈りのカード」を渡すのですが、それに入れている聖句です。宣教師や教会の伝導にはピッタリですし、クリスチャン生活の励ましにもなります。何かが無駄だと感じると、続けてやるのが厳しくなりますが、無駄ではないと約束されると自然とやる気がでますね。人間は数字(参加人数、救われた人数など)を見ますが、神様が私たちの想像を超える働きを、私たちが気付かない内に、見えない所で行っています。 風に吹き飛ばされる葉っぱではなく、動くことがない岩になりましょう。

6.19.2021

高ぶらずに神の恵みを感謝する

聖書朗読:第一コリント15:1-27 

9.10節 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

明日は父の日ですけど、準備等で男性の長所や短所、今週は色々と考えてました。もちろん、皆ではないですが、多くの男性はプライドが高いですね。プライドが原因で色んな失敗を繰り返します。パウロは高ぶりたかったら、高ぶってもおかしくない理由が沢山ありました。しかし、パウロの手紙を読むと、謙遜していることが気付くと思います。主の恵みを誇りにしていました。私たちも今日、神様からいただいた恵みを感謝しましょう。

6.18.2021

Chaosを減らしましょう

聖書朗読 第一コリント 14章

40節 ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。

14章は異言についての教えで、内容がわかりにくいですが、簡単にまとめれば、今の時代は異言はありません。やっている教会は聖書の説明を無視して行っているので、問題です。
教会の礼拝をはじめ、私たちの生活にも、すべてのものを適切に、そして秩序正しく行いましょう。秩序の反対語はchaosです。御言葉を無視すると、社会には、私たち個人の生活にもchaosしか有りません

6.17.2021

もう赤ちゃんじゃないんだから!

聖書朗読 第一コリント12.13章

3:11 私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。

信じた時は赤ちゃんクリスチャンでしたが、時間が経つと経つほど、神様の御言葉に対する知識や神様からいただいた知恵がますます深くなるはずです。それでも、神様の知恵が素晴らしすぎて私たちが分からないところがあります。10節には「完全なものが現れたら」とありますが、イエス様です!早く会いたいと思いますが、その日が来るまでは、少しづつでも、幼いクリスチャンから成人クリスチャンに成長していきたいです。

6.16.2021

正しい男女平等とは?

聖書朗読 第一コリント人11章  

11,12節 とはいえ、主にあっては、女は男なしにあるものではなく、男も女なしにあるものではありません。
女が男から出たのと同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から出ています。

11章は多くの誤解や反抗的な信者を生み出した聖句です。聖書は男女平等を教えていますが、世が想像している「男女平等」とは異なります。男女は互いに必要であり、神様の目に同じように尊いですが、家庭や教会での役割は違います。「11章は聖書の時代の文化で今と関係ない」と言い訳をつける教会が多いですが、それは危険な解釈です。それでしたら、「かぶりものをしましょう」と言ったほうがまだましです。
 男は女から生まれてくるし、最初の女はアダムから取られた。互いに必要です。互いに助け合い、愛のある教会家族を作りましょう。一人一人が自分の役割を果たせば、そうなります。

6.15.2021

Pride goeth before a fall

聖書朗読 第一コリント人10章

12節 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

箴言には似たような聖句があり、アメリカでは聖書を読まない人でもみんな知ってることわざになってます。この聖句の前後には、バウロが旧約聖書の出エジプト記の時を話してます。イスラエル人の多くが神様に逆らい、愚痴や不信仰のせいで荒野で亡くなりました。「自分はそんなことをしない」と思うのは危険であり、誰でもいつでも神様から離れてしまうかもしれないことを理解して、賢く生きるべきです。

6.14.2021

勝つべき競技

聖書朗読 第一コリント8章、9章

24節 競技場で走る人たちは、みんな走っても、賞を受けるのはただ一人だ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

イストミア大祭が2年おきにコリントで開催されてました。(オリンピックの翌年と次回のオリンピックの前の年) コリントの人たちはこの様なスポーツ大会に詳しかったから、パウロは9章の最後には、クリスチャン生活を選手の競技中の心構えに例えてます。
他のクリスチャンと競技し、一人しか天国に行けないという意味ではありません。福音を他人に伝える必要と努力を教えています。やるべきことをしない、したくない時があるので、選手が長く走って、疲れて辞めたいときに体を従わせるように、私たちもそのような思いでクリスチャンとして走り続けるべきです。

6.13.2021

今のままで良い!

聖書朗読 第一コリント7章

20節 それぞれ自分が召された時の状態にとどまっていなさい。

この7章はクリスチャンの結婚生活についての教えです。独身の方や未信者と結婚している方等がクリスチャンになってからどうしたらいいのかについてパウロが教えています。結婚についてだけではありませんが、人は様々な悩みや試練の中にいるとき、「状況が違ったら幸せになれるのに」とすぐ思ってしまいますね。状況を変えることよりは、「今の状況の中でどのように主に仕えるのか」と考えた方が良いと思います。主の具体的な導きがなければ、今の状況のままにとどまり、そこで主の為に証ししましょう。

6.12.2021

NHKの子ども洗脳が始まった

聖書朗読 第1コリント人6章 9,10節 あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません。

 昨日はテレビをつけたら、nhkが非常に残念な番組がながれてました。子どもたち向けの番組で「transgender」の12歳の子の話しでした。悪魔がNHKの社長です。冗談ではありません!今の時代の堕落に対して、私たちクリスチャンは賢くならなければなりません。学校やテレビ、子ども達の洗脳が始まりました。聖書ほ明らかに語ってます。正しくないものとは、神様の赦しを頂いてない人であり、LGBTも含まれてます。彼らは天国にいけません。どんなに社会に嫌われても、私は真理を語り続けます。神様が教える価値観で行きます。偶像礼拝者、同性愛者を含めて、すべての人が罪を犯してます。神様の赦しをいただきませんか?

6.11.2021

神の奥義の管理者

聖書朗読 第一コリント4しょ、5章

  4:1 人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。

パウロは自分のことと他の使徒に対して言ったことですが、私たちクリスチャン一人一人が祭司であり、神様に個人的に近づけますから、私たちもこの中に含めていいと思います。神様の奥義(福音)の管理者です。
配達の仕事の時、いろんな管理人に会いました。優しく、「お疲れ様です」を言う人、怒鳴って、「そこに停めるな」、その間くらいで、優しく「今度来たとき〇〇してください」とそこのマンションの決まりを教える人がいました。
私たちは福音に対して、どんなスタイルの管理人でしょうか?

6.10.2021

見ためより土台が大事?

聖書朗読 第一コリント2章、3章

 3:10 私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。

今は博多南BBCの駐車場でブロック塀を作っています。まだ基礎工事の最中ですが、急いで手抜きなことは絶対にしません。なぜ?どんなに綺麗な立派な物が出来上がっても、基礎がしっかりしていないと意味ないからです。

多くの人は立派な生活をしているように見えますが、もしかしたらそれは外側だけかもしれません。その人の土台がどうなっているのかが気になります。私たちの土台はしっかりしていますか?イエスキリストが土台であれば安定した立派な働きができます。

6.09.2021

はい。愚かです。

聖書朗読 第一コリント 1章

18節 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。

私は愚かです。はい。間違いありません。福音を宣べ伝えるのて、社会からは「愚かな者」とされるのは当然。だって、創造説を信じて、進化論を否定します。夫婦は男一人と女一人であって、同性愛は認めません。聖書は神様の生きている言葉であり、2021年にも誤りがなく人間が従うべき聖なるものだと思います。これで「愚か」のレッテルが貼られます。

福音には力があります。いつかすべての口がイエス様が神様であることを認める日が来ますが、残念ながら多くの人には遅すぎることになります。救われるチャンスは生きている限りであり、一人でも救われるのであれば、世が福音に、そして私たちに「愚か」とレッテルを貼っても、語り続けましょう。

6.08.2021

善にはさとく、悪にはうとく

ローマ人への手紙 16章

19節 あなたがたの従順は皆の耳に届いています。ですから、私はあなたがたのことを喜んでいますが、なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。

16章は挨拶の章ですが、その中にいろいろな感謝や注意などが書かれています。19節にはローマの教会の従順が褒められてますね。正しいこと、善、に対しては賢くなり、常に正しいことをするべきですが、悪に対してどうするかはクリスチャンの中には様々な考えがあるようです。ここには、「疎い」が使われてます。知識がなければないほどがいい。関わらない、考えない。避ける。英語は「simple」か「innocent」になります。例をあげると、子どもは何歳から性的なことを理解してほしいのか?私たち親は子どもが幼いのまま、innocentの姿をなるべく長く維持したいです。
悪に対しても同じです。関わらない、考えないで、御言葉中心の生活にしましょう。

6.07.2021

希望を唯一の本

聖書朗読 ローマ人への手紙 15章

4節 かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。

御言葉からはじまる一日はどれほど大切なのかがわかりやすい聖句ですね。とはいえ、今日は送信が遅れています。パウロがこれを書いた時点では新約聖書がまだ完成してない訳ですから、旧約聖書やイエス様の言葉に対して言っているわけです。聖書の言葉に頼ると安定した生活ができます。希望のない人に囲まれても希望のある生活ができます。本屋さんにいって、沢山の本があるが、同じ約束できる本ありますか?一時的な希望を与える本はありますが、時代を超えて希望と忍耐を与えることができる本は聖書以外はありません。

6.05.2021

正しい事をすれば恐れがない

聖書朗読 ローマ12章、13章

ローマ13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをする時ではなく、悪を行う時です。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者から褒められます。

先生が教室に入ってきたとき生徒が急に静かになったり慌てて何か隠したり、警察がいるときに急に速度を見ながらブレーキを踏んだり、色々ありますが、権威ある人たちが現れると自分の行動が変わるなら、元々はその行動がいけなかったということになります。正しいこてをすれば、権威ある人たちを恐れなくていいのです。尊敬する意味の恐れはいいんですが、今は怖がる意味で使っています。

クリスチャンは神様にまず従います。そして、聖書の教えや価値観に違反しない場合は政府の指示に従います。

6.04.2021

ずべでは神様から、神様により、神様に至る

聖書朗読 ローマ人への手紙 11章

36節 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

パウロは9章から11章に、イスラエル人が救われてほしいとの強い願いを語りました。その最後にこの36節があります。神様の働き、計画を人間が完全に理解すると言うのは不可能です。しかし、そのことを神様に逆らう理由にするのではなく、逆に「アーメン」と言うべきです。神様の素晴らしさを人間の知恵で理解できるとしたら、全能の神様が小さくなることになりますね。33節にありますように、「神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。」すべては神様から、神様により、神様に至る。神様の計画を理解できなくても、感謝します。

6.03.2021

ユダヤ人の救い

聖書朗読 ローマ人10章 1節 兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。 9章1から3節にら同じような内容でしたが、パウロは切に願ったいたことは、イスラエル人が救われることです。可能であれば、自分の救いを手放し、彼らに上げるとまで言いました。私たちはどこまで他人の救いを願っていますか?

6.02.2021

創造主に失礼!

聖書朗読 ローマ人への手紙 9章 20節 人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。 子どもの頃、自分の顔が嫌いでしたが、ある時、この聖句を牧師に見せられて、「そういうことを言うのは創造主に失礼です。」エペソ2:10によると私たちは神様の作品です。自分のすべてを受け入れて、創造主に感謝して今日を生きましょう。

6.01.2021

祈りたくても言葉がでないとき

聖書朗読 ローマ章8章 26節 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。 私たちが試練や様々問題の中にいるとき、祈りたくても言葉が出ない時があります。希望があるはずなのになぜかそれを感じないとき、または、心から祈れる時でも、どんな時でも聖霊が私たちの執り成しをしてくださいます。神様が私たちの声を朝から聞きたいのです。祈りをもち一日を始めましょう。

5.30.2021

救われてからのバプテスマ

聖書朗読 ローマ6章 4節 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも命にあって新しい歩みをするためです。 今日の聖書朗読は今月の日曜日に学んだ所ですが、今日は聖餐式を行いますので、ちょうどいい箇所です。キリストが死んで、ほうむられて、復活したことを信じて、罪の悔い改めをし私たちが救われた時、古い人が死に、心が新しくなりました。そして、心の中にこの見えない奇跡を見える形にするためにバプテスマを受けます。バプテスマによって罪が赦されるわけではなく、すでに救われたことを公に証しすることです。聖餐式を通して、救われてバプテスマを受けた私たちがイエスの犠牲を思い出して、感謝して、そして公に福音を証しするのです。

5.28.2021

信仰の父、アブラハム

聖書朗読 ローマ人 4章 20,21節 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。 アブラハムは「信仰の父」として知られて、三つの宗教にとって大きな存在です。ただ、ユダヤ教やイスラム教は彼らの行いを見て真似しようとしますが、聖書はアブラハムの信仰を真似するべきだと教えてます。彼の信仰は彼の従順を見てわかります。そう言われると、彼の信仰と行いは同じものだと解釈しがちですが、違います。アブラハムは神様を信じて、行動しました。信仰が先です。神様を疑うことなく、神様の約束を信じて、自分のものにして、今日を歩みましょう。

5.27.2021

値なしに赦される

聖書朗読 ローマ人への手紙3章 24節 神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。 「アーメン」以外にはコメントがいらない聖句ではないでしょうか?私は神様の恵みを頂くにはあたいしない。神様の赦しはもちろんですが、日々の生活に主から恵みのシャーワーを頂いてます。感謝します。「義」ではない私たちが義と認めらたことを感謝して、一日を始めましょう。

5.26.2021

人の罪を裁く神様

聖書朗読 ローマ2章 4節 それとも神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。 多く未信者は「裁かない神様」や「神は愛です」を信じたいが、「人の罪を裁く神様は酷いので信じません」と言うのです。それはあくまで信じない言い訳だけです。本当に言ってるのは、「今まで通りに自己勝手な生き方をし続けたい。」です。神様に委ねるのが嫌で、神様の愛を拒むのです。神様は人を裁きたいわけではありません。人を愛し、独り子をささげたわけですから、人がその愛を拒むのではなく、軽んじるのではなく、受け入れるように聖霊が人の心に働いておられます。 クリスチャンである私達にも、救われた後にも、主の慈愛と忍耐と寛容を毎日必要ですね。

5.25.2021

イエス様は誰?

聖書朗読 ローマ1章 7節 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。 ローマの学びをはじめてから半年以上経ちましたが、今週の聖書朗読は今までの学んだ所の復習となります。 以前言ったように、聖書朗読の中に今年のテーマ言葉がある場合は、その一節を選んでます。 1節から7節はローマの信者への挨拶ですが、ただの挨拶ではありません。深い大切な内容です。イエスキリストは誰なのかをはっきりしています。カルト教(エホバの承認やモルモン教)は必ずイエスキリストは誰だったのかの説明が聖書からずれます。 イエスキリストが神の子であり、神様です。イエス様が私たちを選び、救いに導き、主の福音のために働くようにと私たちを召されました。本当の平安はイエス様々から下って来ます。平安を得られる他の方法はありません。

5.23.2021

嵐の中でも恐れない

聖書朗読 使徒の働き27章   23,24節 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」 最初は、船長をはじめ、船の操作に詳しい人たちは、パウロの指示を無視しました。そして、パウロはしばらくの間、助言をせずに彼らの自己勝手に任せました。21節が面白いです。私たちも良く子どもに言いますね!「ほら、いったでしょう」船長は自分の知恵や能力を頼りにしたが、どうにもならないと分かってから、パウロに聞き従いました。 この船には276人がいました。パウロの信仰と行動により、全員が嵐から助かったのです。「パウロが仕えている神様」と言い直すと、「神様の奴隷」と言えます。これは喜びある道であり、回りが状況を見て不安になっているのに、神の奴隷は安心して生活できます。なぜなら、主人が自分の家にいる家族だけではなく家で働いている者を守るように、神様が私たちを守るからです。神様の偉大な計画に委ねて、神様の奴隷になりましょう

5.22.2021

暗やみの中から。。

聖書朗読 使徒の働き26章   18節 「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、私を信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継かせるためである。」 パウロがアグリッパの前に弁明しているところで、その弁明の内容は自分の救いに至るまでの生涯とイエス・キリストに出会った日、救われた日の話です。彼が救われたのは使徒9章に記録されていますが、その後にまた22章に書いてあります。聖書に記録されてないですが、それ以外にパウロは自分の救いの証は数百回、数千会、繰り返して色んな場所で様々な人たちに語っていると思います。 今の時代でも必要な話ですね。暗やみの中でありサタンに支払いされている人たちがほとんどです。当然、一部の人たちは「はい。サタンに支配されています。」と笑いながら言う人がいますが、ほとんどはそのことを知らずに毎日過ごしている人たちです。より多くの人たちが神様に支払いされるものと、造り主に立ち返るように、今いる場所で祈りましょう。

5.21.2021

延期。。延期。。延期。。

聖書朗読 使徒の働き 24章 22節 フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来たら、おまえたちの事件に判決を下すことにする」と言って、裁判を延期した。 

 延期した!私たちはこの一年間、よく聞くようになった言葉ですね。23:26を見て、思い出してください。このリシアがフェリクスに手紙を出して、パウロをユダヤ人から助けた事やパウロが無罪であることを書きました。なのに、今度はフェリクスがまたリシアを待ち、リシアに責任転換するわけです。いろんなリーダー達の前に連れて行かれても、パウロが立派な神様のしもべであり、何も悪いことしてないのが明らかでした。誰もパウロを死刑にしたくなく、延期するパターンの繰り返しでした。 何かを待つというのは誰もが嫌がります。しかし、これにも時があります。待たされている中、神様が働きます。今いる場所で主のためにできることがあります。

5.18.2021

無差別な福音のために

聖書朗読 使徒の働き 22章 1節「兄弟ならびに父である皆さん。今から申し上げる私の弁明を聞いてください。」 パウロがエルサレムに行き、エペソの先生方を始め、多くの方々が恐れていたとおり、逮捕されました。「弁明を聞いて」とありますが、パウロの弁明はどういうものだったのかを22章を読み、考えましょう。自分の行動中心な話しではなく、イエス様との出合い、神様に選ばれたことが中心です。福音が無差別なものであり、全ての人に宣べ伝えるべきです。ユダヤ人に語っているが、パウロが異邦人に派遣されたことを言われたら、ユダヤ人が我慢できずに暴動になりました。 福音に対するパウロの熱心が多くの人を救いに導きました。これを喜ばない人は必ずいますが、気にしません。 主のために生きる一日となりますように。

5.16.2021

走るべき道を走る尽くす

使徒の働き 20章 24節 けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。 バウロがエペソの教会の先生方を自分がいる所に呼び、エルサレムに行こうとしている事を伝えました。そこに行けば、確実に迫害されることになると分かっていましたが、その中であっても福音が伝えられるので、行くと先生方に伝えました。エペソの教会にも偶像礼拝をする者から迫害もありましたから、彼らを励ます目的で呼び寄せたと思います。 私たちは「神の恵みの福音」のために「走るべき道のり」を走っていますか? 使徒の働きの聖書朗読が今週で終わりますが、初代教会の事を学び、今の時代にも同じことを見たいと思いませんでしたか? ローマ 6:13にありますように、まずは私たちが「自身を神に献げ」ましょう。

5.12.2021

真夜中の賛美

聖書朗読 使徒の働き 16章 25節 真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。 パウロたちはいつ寝てたんだろうね?真夜中でも賛美とお祈りしていました。無罪な人たちが牢屋に入れられて、賛美できるとはすごいですね。この証しにより、看守とその家族までが救われました。祈りにはもちろん、賛美にも力があります。周りが賛美を聞いて、「うるさい」と思わず、「仲間になりたい」と思うようになるといいですね。

5.11.2021

儀式ではない。。。。

聖書朗読 使徒の働き 15章 24節 私たちは何も指示していないのに、私たちの中のある者たちが出て行って、いろいろなことを言ってあなたがたを混乱させ、あなたがたの心を動揺させたと聞きました。 異邦人の世界に福音が宣べ伝えられ、ある先生方が、ユダヤ教の様々な儀式を異邦人でも守るべきだと教えていました。しかし、救いは神の恵みによるもので、福音を受け入れる以外は何も必要ありません。エルサレムの教会で話し合いをし、使徒たちが同じ意見になり、異邦人たちでクリスチャンになった方は割礼等の儀式を守る必要がないことをみんな同意しました。 今の時代でも、聖書に書いてないことを書いてあるかのように教えてる教会があります。例えば、バプテスマを受ける前に数ヶ月勉強会が必要だとか、いろいろあります。聖書に書いてあるもののみ、実行し、書いてないことを教える人や教会を警戒するべきです。

5.09.2021

社会の価値観に従う女性は後悔します

聖書朗読 使徒の働き13:26-52  50節 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出した。 ここで「神を敬う」とありますが、これはDEVOUTと言う英語になります。何かの信仰を熱心にしている人たちを意味しています。彼女たちは裕福な者で、異邦人の堕落した生き方を捨て、ユダヤ教の信者となった婦人たちです。パリサイ派の先生方のように、自分たちは道徳的に正しい生活をしていることに対しての自慢があったが、真の神様を正しく信じていた訳ではありません。宗教熱心者の社会では、彼女たちは憧れる女性であり、尊敬されていました。 今の時代にも似たようなことが起きています。現社会が教えている「現代の婦人」は家族を犠牲にしても男女平等を合言葉にし、成功を追い求めています。家庭優先の様な古い考え方を捨てて、自分の幸せや社会に認められる事を追い求めています。社会が描いている「成功している女性」と神様の基準は当然違うものです。この有力者がパウロとバルナバを迫害することになりましたが、今の社会は聖書的な価値観に耳を傾けることがないとしても、私たちクリスチャンは優先順位や価値観を変わらない聖書の教えに合わせましょう。

5.08.2021

神様の心にかなった人

聖書朗読 使徒の働き13:1~25 22節 それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。「私はエッサイの子ダビデを見いだした。彼は私の心にかなったもので、私の心を余すところなく実行する。」 13章には、パウロの最初に記録されている説教があります。ステパノと同じように、まずは旧約聖書から話しました。その中で、ダビデについて話しましたが、私たちにとってもいい目標ですね?私は1)日々、神様の心にかなった生き方をしているかどうか?2)神様の御心を実行しているかどうか?

5.06.2021

自分と違う人にも伝えよう。

聖書朗読 使徒の働き 10:43ー11:30 11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。 使徒たちに与えられた使命は全世界に福音を宣べ伝えることでしたが、しばらくはエルサレムだけにとどまりました。迫害によりクリスチャンが散らされ、それにより様々な地域に福音を語りはじめましたが、それでもユダヤ人だけに語りました。福音はすべての一人のためにあります。私たちは同じように、自分と同じ価値観や生き方をしている人だけにではなく、より多くの人に伝えましょう。まずは、一人に伝えられるように機会を祈りましょう。

5.05.2021

人間を神にするな!

聖書朗読 使徒の働き 10:1-43 25節 ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。26 するとペテロは彼を起こして、「お立ちください。私も同じ人間です」と言った。 人は人、神様は神様。この区別がはっきりしているはずなのに、区別が曖昧になると、大変なことに繋がります。 カトリック教会はペテロが最初の法皇だと思われているそうですが、危険な教えです。私はローマに行ったことありますが、カトリック教会の信者が法皇を拝む姿を見ました。彼らが法皇を見て、「この目で見ました。二度と目を洗わない」と言われるほどのレベル、幸せそうでした!狂ってます。ただの人間です。 ここまでではないですが、教会によっては牧師を高くしすぎる所があります。ただの人間です。コルネリウスの過ちを繰り返さないように、人にではなく、神様に目を向けましょう。

5.04.2021

回心しても受け入れられない時

聖書朗読 使徒の働き 9章 26節 エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。 パウロが救われたことは間違いなかったですが、周りの人達はすぐにそれを受け入れることができなかった。当然の恐れがありました.。なぜなら、パウロは国中を回ってクリスチャンたちを捕まえて迫害していたからです。 もしかしたら、皆さんがクリスチャンになった時、家族等がそれをすぐに受け入れずにいました。時間が経っても、まだ受け入れてないかもしれません。 バウロは福音に対する熱意で彼らの不安や疑問を乗り越えました。福音にはパワーがあります。

5.02.2021

ワンマン!

聖書朗読 使徒の働き 7:23ー60 55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て。。 ステパノの勇気はすごいと思いませんか?彼の説教は、まずアブラハムとモーセの話しをし、その後は神様の臨在は神殿よりは天地におられると話しました。そして、はっきりとユダヤ人が救い主を裏切ったの話しで説教を終わりました。「終わりました」、と言っても、終わってはなかったと思います。途中に彼らが怒り、ステパノを殺しました。「一人だから」と言って、何もできない訳ではなく、一人でも証しできます。今日のメッセージのテーマは「一人」(ワンマン)です。アダムにより罪が世界に入り、イエス様により救いの道が開かれました。一人の力は大きいです。

5.01.2021

聖書が中心

聖書朗読 使徒6章、7:1ー22 7節 こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。 教会内にもめごとがあって、弟子たちの時間が捕えてた。弟子たちが教会の奉仕に集中するために執事を七人選びました。その後、また祈りと御言葉の取次に集中ができた。その結果、御言葉がますます広がったのです。私たちは聖書バプテストです。「ウインターズバプテスト」や「ボードバプテスト」ではありません。聖書が私たちの信仰の一部ではなく、すべてです。人の意見や好みではなく、聖書が中心の教会です。そして、この聖書を世に伝えたいです。ますます、日本で広がりますように。

4.30.2021

止められない働き

聖書朗読 使徒の働き 5章 38.39節 そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」議員たちは彼の意見に従い、 これはガマリエルの言葉ですが、とても賢いアドバイスをイスラエルのリーダーたちにしました。弟子たちの働きが神様の働きだったので、止められませんでした。 私たちの個人の生活で、または、教会で同じことが言えるといいですね。神様の働きならば、人間が止められなく、私たちの能力や賜物を超えた働きになります。

4.28.2021

No MONEY!

聖書朗読 使徒の働き 3章 6節 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 べテロと弟子たちが初代教会の拡大のために大きく用いられた理由は献身されていたからです。お金や学歴はなかった。特別な賜物もなかった。しかし、「私のすべては主のもの」と言う心があったので、神様ご彼らを通して素晴らしい伝導ができた訳です。

4.26.2021

いつ?どこ?知らなくていい。

聖書朗読 使徒の働き1章 7~8節 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 イエス様の再臨やその他の未来の出来事がいつ起きるのかは、私たちが知らなくても良いのです。キリスト者が一番気にするべきことは、聖書のわからない部分の意味や時ではなく、わかりやすくて実行していない所です。イエス様の昇天の直前、弟子たちに、大命令を与えました。初代教会は、この命令の一部だけを守りましたが、「地の果てにまで」は最初の方は守っていなかったが、迫害されて、散らせてからは、前世界に福音が行き渡りました。 次の3週間の日々の聖書朗読は使徒の働きです。小倉教会の今後の成長を祈りながら、毎日読みましょう。

4.25.2021

世界一番大きい図書館

聖書朗読:ヨハネの福音書21章   25節 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。  アメリカ議会図書には170,000,000点の書籍や資料が置いてあり、世界一番大きい図書館です。すべての本棚を一列に並べた場合、800キロの長い列になります!幅広いテーマの資料や本、英語だけではなく、400ヵ語の言語の物があります。  イエス様が教えた真理や行われた奇跡を文書で残そうと思えば、アメリカ議会図書館にある以上のページ数になるでしょう。神様の真実はあまりにもすばらしく、あまりにも奥深くて、一生かけて主の御言葉を学ぼうと思っても、時間が足りません。それほど深いですが、シンプルでもあります。ヨハネが福音書を書いた理由は、すべての人がイエス様を信じるためです。福音を難しくする必要はありません。今日の説教は大変シンプルなメッセージであり、すべての人が聞き入れるべきものです。

4.24.2021

平安がありますように

聖書朗読 ヨハネ20章 21節 イエスはもう一度彼らに言われた。 「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、私もあなたがたを遣わします。」 今日の聖書朗読は今年のテーマ聖句がある20章です。どうですか今年は?日々の生活の中に、平安がありますか?私たちの心から神の平安が満ちあふれていると、他人が神の愛と恵みを受け入れるきっかけとなるのではないでしょうか?私たちに「何も心配しないのはなぜ?なぜいつも笑顔?」と聞かれると、福音は伝えるやすくなりますね。私はまだまだですが、そうなれるように、互いのために祈りましょう。

4.23.2021

完了した

聖書朗読 ヨハネ19章 30節 イエスは酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。 今日の聖書朗読の箇所は、何回読んでも感動する。感動というよりは、イエス様の苦しみを想像しようとすると、心が重くなります。なんという苦しみ。何という愛。「完了した」→私たちの罪の代価の支払が完了した。この世に来られ目的を果たしました。 アーメン

4.22.2021

理解しているならば、自ら伝えられるはずです。

聖書朗読 ヨハネ18章 21節 なぜ、あなたは私に尋ねるのですか。私が人々に何を話したかは、私から聞いた人たちに尋ねなさい。彼らなら私が話したことがを知っています。 英会話を15年教えて、思いましたが、なかなか生徒が上達しません。子どもの緊張なのか、分かってないなのか、英語で質問しても。なかなか答えない子がいます。 何かを人を教えるとき、どうやって相手が理解できているかどうかを確認するのか?相手が自分からそれを説明できるかどうか、他人に同じ内容を教えることができるかどうかです。 イエス様の話を聞いた人たちがたくさんいます。ちゃんと理解した人は信じた人たちですが、バリサイ派などは信じませんでしたし、イエス様の教えを理解してないというより、受け入れてないのです。ビラトはイエス様に何のつみがないて言いましたのに、イスラエル人かここまでイエス様を憎むのは悲しいですね。 私たちは御言葉を聞き、受け入れ、他人に教えることができるようになりたいですね。

4.21.2021

聖別されていますか

聖書朗読 ヨハネ17章  17節 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言葉は真理であります。 聖別は英語でsanctify と言いますが、英語のsanctifyは一般の人は使わない言葉であり、聖書用語です。日本語の聖別は同じかもしれません。聖別とは、聖なるために特別にする、一般の人と違う価値観を持ち、違う生活をすることです。私たちは御言葉に生かされています。神様の御言葉という真理を受け入れたので、聖別した日々を生きるべきです。それにより、世に嫌われる場合がありますが、私たちはこの世の者ではありませんので、当然です。それでも、御言葉を固く信じれば、イエス様を信じる者が増えます。なぜから、真理だと認める日が来るからです。真理の中に歩む一日となるように

4.20.2021

勇気を出しなさい

聖書朗読 ヨハネの福音書 16章 33節 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」 今日の聖句も「これらのこと」から始まりましたので、ぜひその前も読んでください。日曜日の説教にはこの聖句を見るはずでしたが、開いてないと思いますので、今日分かち合いたいと思います。 勝ち組ですよ、私たちは!負けず嫌いな人にとっては、嬉しいお知らせですね。世に生きている限りは辛いことが起きますが、ここはただ私たちの一時的な住まいです。ある意味、震災の後の仮設住宅の様な生活をしています。理想な状況ではなくても、「主がこられるまで、頑張るぞ!」と決める。何があっても主がくださる平安の中に生きると、勇気を出せます。

4.19.2021

喜びに満ち溢れていますか

聖書朗読 ヨハネの福音書 15章 11節 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。 喜びに満ち溢れるように私たちに御言葉が与えられたわけです。あの決まりもこの決まりも守らないといけないという、私たちが負担を感じるためではないです。「これらのこと」とありますがそれは1節から10節に書いてあることです。キリストに繋がりキリストにとどまるようにすれば喜びが満ちあふれます。そういう喜びと自由のある一日となりますように。

4.18.2021

78億人の全員のための言葉

聖書朗読:ヨハネの福音書14章 6節 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」  これは有名な聖句で、とても分かり易い言葉です。世界の人口は78億人を超えましたが、「この聖句はわたしと関係ありません」と言える人はその中で1人もいません。天国への道は唯一です。キリストを信じる事で、天国に行けるようになるだけではなく、救われたことは今の生活にも大きな意味があります。今日の集会では、救われた結果について学びます。信仰により義と認められた私たちには、どのような祝福があるのでしょうか?神様と和解して、罪が赦された結果、神様との平和があり、神様にいつでも近づけるようになりました。今の生活の試練などを乗り越える力が与えられましたし、いつかは神様の栄光を見ることが約束されています。

4.17.2021

人の足を洗いたくない

聖書朗読 ヨハネの福音書 13章 15節 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。 私はイエス様のこの言葉を読む度に困ります。なぜかというと、しもべになり他人の足を洗う話しです。私は自分の足を含め、人の足は嫌いです。なぜか分かりませんが、子どもの時からそうです。見たくもないくらいだから、触るのは有り得ない。23年間結婚してますが、一度も妻の足を洗ったことがない。そろそろこの恐怖心から成長しないといけないかもしれません。 この聖句は、人の足を洗うと言う聖書の時代の文化にあった一つだけに適用するよりは、イエス様の姿から学びましょう。人に仕える姿から学びましょう。自分を低くし、主を高くあげましょう。

4.16.2021

偉くなったって、何が変わる?

聖書朗読 ヨハネ12:23―50 42節 議員たちの中にもイエスを信じた者が多くいた。ただ、会堂から追放されないように、パリサイ人たちを気にして、告白しなかった。 福音を信じたとしても、周りの目を気にして、それを公に告白しない者がどれぐらいの人数がいるんでしょうね。結構の数になると思います。特に立場が偉くなると難しいでしょうね、 昨日の夕食で議員になるとの話しになりました。遊びだけの会話で真面目に考えている訳ではないので、ご安心ください。その課題になったきっかけは、知り合いの方が先月の那珂川市議員選挙で当選したと分かったからです。3人の小さいお子さんのママだけで忙しいのに、すごいと思いました。しかし、議員になって何か変えようなど、大きなことしようと思っても、思う通りには行かない現実が彼女の真っ先に待ってます。話したい事が多くあっても、周りの目を気にして、静かになります。 福音の働きのために何かしようと思う私たちは、「立場が偉くなれば」「神学校に行けば」等の様に考えではなく、必要なのは忠実なしもべとして神様の力を信じる事です。弟子たちの様な人たちが用いられます。

4.15.2021

後になればわかる

聖書朗読 ヨハネ12:1-22 16節 初め、弟子たちにはこれらのことが分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がその通りにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。 弟子たちは3年ずっとイエス様と一緒にいました。イエス様の話しを聞いたり、奇跡を見たりしましたが、その全ての内容を理解できたわけではありません。多くの場合は、後になってからそれを思い出して、やっと理解できるようになりました。私達は弟子たちと違って完全な聖書が手にあります。でもその内容が全て完璧に理解できてるわけでもなく、または日々の生活の中でイエス様のなされることを全て理解できるわけでもない。しかし弟子たちと同じように、後になってわかる時がくる。だから、今日できるのは、安心してイエス様に頼ることです。

4.14.2021

人の死により。。。

聖書朗読 ヨハネの福音書 11:28−57 49−50節 しかし、彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」 大祭司のカヤバが、ただただローマの手でイスラエルががつぶれるのを恐れていただけで話した言葉です。イエス様がすくい主だと信じていた訳ではないと思いますが、この言葉はイエス様の十字架の死の預言となりました。一人の方が死により、多くの人の救いが可能となりました。イエス様の深い愛、感謝します。

4.13.2021

何を心配していますか?

聖書朗読 ヨハネ11:1ー27 15節 わたしは、あなたがたのため、すなわちあなた方が信じるためには、わたしがその場に居合わせなかった事を喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。 信仰について、弟子たちから学べることが沢山あります。今年のテーマである、「平安」についても同じです。弟子たちの良い姿から学べる所があるでしょうが、多くの場合は彼らの疑いや不安から「良い子は真似しない!」的な学びですね。 彼らはエルサレム方面に行くのは非常に怖かったのです。前回行ったときは、イエス様が石打ちになりそうでしたから、その心配はわかります。 ラザロを死からよみがえらせる奇跡を行うために、弟子たちと一緒にベタニヤ村に向かいました。もっと早く行けば、彼は死ななかったのに、病気のお知らせが来て、わざと2日待ってからの出発でした。なぜ? 自分の力、死よりの勝利を弟子たちに見せるためでした。  今は、何を心配していますか? その問題はあなたにとっては大きいかもしれませんが、神様の力に比べると小さいのではないでしょうか?

4.12.2021

雑音だらけな社会

聖書朗読 ヨハネ10章 27.28節 私の羊は私の声を聞き分けます。また私は彼らを知っています。そして彼らは私についてきます。私は彼らに永遠の命を与えます。彼らが決して滅びることがなく、また、誰も私の手から彼らを奪い取るような事はありません。 友達の声。メディアの声。親戚の声かけて。近所の声。職場の人の声。お客様の声。耳に入ってくる様々な声。その相手の意見は雑音であり、気をつけないと、神様の声より大きく感じてしまいます。イエス様が良い羊飼いです。私たちが羊であり、イエス様の声だけを聞けば、安心して生活できます。感謝します。ヨハネ10章を読むと、イエス様がどんなに私たちのことが大好きか、伝わりますね。その良い牧者の声を聞き、安心がある一日となりますよう。

4.11.2021

「礼拝」は集会の名前ではありません

聖書朗読:ヨハネの福音書9章   38節 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。  多くの教会では、今日「礼拝」を行います。看板にはそう書いてあるからわかりますが、その教会に出席したら、本当にその集会で「礼拝」が行われているかが疑問です。ヨハネ9章には、目が不自由な男を癒したイエス様の奇跡が記録されています。生まれてから一度も見えることができなかった彼は、イエス様を信じました。そして、イエス様を拝した、とあります。  礼拝は何でしょうか?誰が礼拝できるのでしょうか?近いうち、これを聖書から一緒に勉強したいと思います。今日は一言いいますと、神様を信じている人がしか礼拝できません。礼拝は儀式的なものではありません。礼拝は単なる教会の一つの名前ではありません。礼拝とは、神様を信じている人たちが神様を拝むということです。神様をほめたたえることです。神様に救われた事を感謝することです。神様を信じていない人たちは集会に参加して、歌を歌うことができますが、礼拝ではないですね。まずは、信じることからです。

4.10.2021

狂った社会は真理を必要としています。

ヨハネ8:31ー59 32節 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなた方を自由にします。 最近、ズボン制服の女子生徒を見かけて思いましたが、今の時代の多くの若者は「自由」が好きですね。社会の厳しいルールに従わないで、自分勝手に生きる方が楽だと思っている。個性を大切にし、何かのラテルを貼られることに反対する。制服が選択制になっただけの話しではありません。社会のあらゆる所で若者の反抗が見られます。偽物の自由が大好きです。 しかし、本当の自由には、責任がセットになっているはずです。今の時代が言ってる自由は無責任すぎます。例をあげると、今の子育てにも見れます。子どもに選択肢ばかりあげて、大人の言うことを聞かなくていいように、無責任な子育てをしてる親がいます。今から20年後の社会を想像する怖い! 神様を知らないまま生きると、悪魔に支配されているため、自由がないです。偽物の自由を追いかけることで、ますます不自由になるだけ。 神様を信じることで罪が赦されます。罪の奴隷から主に仕える者になります。キリストからいただいた自由を感謝し、責任のあるクリスチャン生活を歩みましょう。

4.09.2021

多くの者が信じるので、否定的な者を気にするな。

聖書朗読 ヨハネ 8:1〜30 30節 イエスがこれらのことを話されると、多くの者がイエスを信じた。 今日はシンプルな聖句を選びましたが、非常に大切な言葉です。イエス様の話を聞いて、パリサイ派のように、多くの人たちが反対したというイメージになりやすいですね。でもそうではない場合も多く福音書に記録されています。聖書の言葉を語ると反対する人たちは必ずいますが、信じる人達もいます。ヨハネ8章ではイエス様がかなり難しい話しをされたにも関わらす、多くの者が信じました、信仰は御言葉を聞くことから始まる。今日も御言葉を読んでから一日をスタートしよう。

4.08.2021

早く行きたい

聖書朗読 ヨハネ7:32-53  34節 あなた方はわたしを捜すが、見つからないでしょう。また、わたしがいる所に、あなたがたが来ることができません。 この言葉はイエス様がパリサイ派の先生方等に語りました。この言葉を聞く人たちは本当に愚かです。イエス様が目の前に立っているのに、そのイエス様を受け入れなかった。後になれば、彼らはその過ちに気付き、イエス様を探そうとしていても、遅すぎるわけです。 今の時代に同じことが言えます。いつ信じる?今でしょう。なのに、福音を聞いても、後回しにする人が多いです。イエス様が恵み深い方ですから、何回も信じるチャンスを与えますが、その人が亡くなったら、又は、イエス様が再び来られたら、遅いです。これを読んでいる私たちはおそらく全員はすでに救われています。アーメン!クリスチャンは日々の生活の中で、イエス様と個人的な交わりができるのは素晴らしい特権です。毎日聖書を読み、毎日お祈りをして、続けてイエス様を追い求めましょう。イエス様が今、私たちのために、天国で場所を備えておられます。早く、行きたい!

4.07.2021

なぜ信じないんだろう?

聖書朗読 ヨハネ7:1〜31 7節 世はあなたがたを憎むことができないが、わたしのことは憎んでいます。わたしが世について、その行いが悪いことを証ししているからです。 日曜日の説教の時に「なぜ未信者の人たちがイエス様を信じないんだろうか?と疑問に思います。」と言いました。でも、一つの答えはここにありますね。自分が罪人であることを認めたくないからです。全ての人間はブライドがあり、自己中心です。教えやすい心はありません。自分の悪い行いが指摘されると反対する姿勢、戦う姿勢になります。イエス様を逮捕しようとした人たちはそうですし、今もそうです。 そういう方々にどうやって福音を語るのか?イエス様から見習いましょう。場所を去った時もあれば、敵対されても続けて御言葉を語り続けた時があります。すべての物に時があるので、今日は祈って、聖霊の声を聞き導かれるように歩みたい。

4.06.2021

朝食は和食?洋食?

聖書朗読 ヨハネ6:35~71 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。ヨハネ 6:35 今朝の朝食は洋食ですか和食ですか?私は毎朝パンです。いつも「たまに違うもの朝に食べたいなあ」とは思うけど、結局は毎朝一緒です。 今日の聖書朗読は昨日に続けて「パン」がテーマです。もちろん、もう少し具体的に言えば、「イエス様が命のパン」がテーマです。 人間は気づいてないだけで、飢え乾いています。アフリカでもそうですが、日本もそうです。愛に飢えています。人生に満足していなく、生きがいを感じていなく、毎日、「何かが足りない気がする」、のモヤモヤの気持ちでその日を過ごしています。なぜ?神様を信じ、神様と交わりするために創造されているからです。神様が与えるパンだけが、人の魂を満腹にします。

4.05.2021

食べてもお腹がまた空く

聖書朗読 ヨハネの福音書 6:1-34 27節 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」 満腹になったためら、そして、奇跡を見たために、群衆がイエス様を探していました。素直な理由でではなく、自分の要望のために探していた者が多く、彼らに対してイエス様がこの27節の言葉を語りました。 食べものはすぐ腐ります。または、どんなに美味しいものを食べても、そのうちまたお腹が空きます。ここでイエス様が行いによる救いを教えている訳ではありません。信仰による救いを教えています。イエス様を慕い求める正しい動機を教えています。彼らは不思議な技を見たいから、何か食べたいからではなく、信じたいからイエス様についていくべきでした。今もエンターテイメントの目的や何かもらう目的で教会にいく人たちがいます。彼れが本当の求道者になるように、そして、救われるように祈りましょう。

4.04.2021

死から命へ

聖書朗読:ヨハネ5章 24節 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 Happy Easter!主の御名をほめたたえます。復活際は、一年中お祝いするものですが、今日は特別にお祝いする日ですね。主の復活は私たちの永遠にはもちろん、日々の生活にも大きな意味があります。「死から命に」と24節にありますが、イエス様の死と復活は私たちのためでした。神様の裁きを受けず、永遠の命を主の恵みによって得ることを可能にしました。その恵みによる賜物を受け入れた私たちは、安心の中で日々を過ごせます。 未信者はなぜ福音を拒むのか、不思議に思うしかありません。でも、この5章にあるイエス様のことばを聞いていた多くのユダヤ人は同じようにイエス様を信じませんでした。 今日は、ともにイエス様の復活をお祝いし、永遠の命を得られたことを感謝しましょう。そして、日々の生活の中に、続けて主の御言葉に聞き従う者になりましょう。

4.03.2021

一対一の伝導

聖書朗読 ヨハネの福音書 4:27−54 27節 そのとき、弟子たちが戻って来て、イエスが女の人と話しておられるのを見て驚いた。だが、「何をお求めですか」「なぜ彼女と話しておられるのですか」と言う人はだれもいなかった。 サマリアの女の話しを読む度に、毎回感動しますし考えさせられます。イエス様の個人伝導、一人一人に対する深い愛と憐れみから学ベること沢山ありますね。弟子たちも良くそれを見て驚きました。私たちは自分の日々の忙しいスケジュールに追われ、イエスさまの救いを必要としている人たちが目の前にたっていても、それが見えないときがあります。弟子たちと同じように、イエス様の行動から学び、常に驚き、そして真似をするようになりたい。

4.01.2021

生まれ変わりなさい

聖書朗読 ヨハネ3章 3節 まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。 天国に行く道は方一つしかありません。罪の告白をし、イエス様を信じて、新しく生まれることです。 新生児を見ると癒やされますね?可愛くて可愛くてたまりません。赤ちゃんは多くの人の心に喜びを与えるのは、どこの文化でも、どの時代でも同じです。 救われたばかりの人を見ると同じです。赤ちゃんクリスチャンが、多くの信者に元気と喜びを与えます。 新しく生まれると、今までの生活や価値観、宗教に対して思ってきたこと、人間関係など、すべてはリセットされます。何も分からない赤ちゃん、自分のために何もできない赤ちゃんのようになり、すべてはゼロからスタートし、全て新鮮になります。

3.31.2021

約束を守る神様

聖書朗読 ヨハネ2章 19節 「この神殿を壊してみなさい。私は三日でそれを建てよう。」 イエス様の言葉を聞いた人たちは、工事が46年かかった、エルサレムにある神殿のことについて話されたいたと勘違いしました。しかし、神殿は自分の体のことでした。イエス様は、3年間の奉仕の一番最初から、そして、十字架の前の週まで、何度も自分が死んで復活することを弟子たちに伝えました。イエス様が約束した通りになりました。政治家は基本、約束守りません。親でも、子どもでも、友達でも、会社の社長でも、従業員でも、約束を守らない時がある。でも、神様は違います!必ず約束を守ります。 まもなくイースターです。約束を守る神様を信じ、希望を持ちながら、お祝いしたいです。

3.29.2021

負けず嫌い

聖書朗読 ヨハネ1:1ー28 4〜5節 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 負けず嫌いな人とゲームするとダイブ疲れませんか?ボード先生とベッキー先生とゲームすると、必ずこの2つのスタイルがぶつかります。私はおしゃべりしながら遊びたいが、お二人はゲームにだけ集中して、他の関係ない会話には興味なし。それでも、楽しいですし、今日は小倉にいき、教会を借りて、また遊ぶと思います。 私は変わった性格で、ゲーム負けても気にしません。しかし、ゲーム以外の他の状況になると、(話しがズレるから詳細控えます)負けず嫌いです。 やみは光に負けました!その光はイエス様です。私たちクリスチャンは勝ち組です! 今日からの聖書朗読はヨハネの福音書です。イエス様が神様であることを強調しています。私たちの証を通し、世の光を反射し、多く人の心の暗闇が光に変わるようになる4月を目標にしたいです。

3.27.2021

女のたわごと

聖書朗読 ルカ24:1-35 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。 弟子たちはイエス様が復活したことのお知らせを受けた時、たわごとだと思われたそうです。最初の方は信じなかったけれども、そのうち復活したことを受け入れました。 今の時代でも、イエス様の復活のような聖書の色んな素晴らしい出来事を聞いて、多くの人達はおとぎ話のように受け止めます。そんなに信じがたいことでしょうか?例えば、進化論はどうですか?私は進化論のような考え方の方が信じ難いです。考えてみれば創造説を信じるよりは進化論を信じる方がまだまだ信仰が必要かもしれません。進化論はたった一つの例ですけれども、聖書の神様を信じない人達の方が、私たちよりは、沢山なおかしいことを素直に受け入れています。 もうすぐ復活祭になります。イエス様の復活を否定している人達は、それ以上に受け入れ難いことを素直に信じていますから、彼らには自信を持ってイエス様の復活を伝えましょう。

3.26.2021

神殿の幕が二つに裂けた日

聖書朗読 ルカ23:26-56 45節 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。 想像してみてください。夜ではないのに、突然夜と同じくらいに真っ暗になったら、びっくりしますね。他の福音書によると、地震もありました。これだけでも、すべての人たちが立ち止まり、「何があったんだろう」と思いますね?それに加えて、神殿の幕が綺麗に二つに裂かれました。宗教熱心なユダヤ教の先生方全員が、この時点でイエス様が待ち望んでいた救い主だと信じるべきでした。 この出来事には深い 意味があり、今日の私たちのクリスチャン生活にとっては大切なことを表しています。この幕は神殿の聖なるところ(祭司しか入れないところ)と一般な方が入れるところを区別するための幕でした。これが裂かれる意味は、すべての人が祭司となり、神様に近づけるようになったということです。誰かを通してではなく、イエス様を信じるだけで、私たち一人ひとりが日々の生活の中で、神様に祈り、神様と個人的な交わりを持てるようになりました。ぜひ、今日も持ちましょう。

3.25.2021

何の罪もないの、犯人扱いされるとき

聖書朗読 ルカ23:1〜25 ビラトは祭司長たちや群集に、「この人には何の罪も見つからない。」と言った。 ビラトが言われた通りです。しかし、群集はその判決を受け入れず、ますます暴動だったと言ってもいいくらい、イエス様が裁かれることになるまで、諦めませんでした。真理を語るだけで、なぜここまで嫌がるのでしょうか? 今でも彼らのような人たちがいます。クリスチャンを迫害し、私たちが彼らの生活や価値観が「普通」だと認めるまで、彼は諦めません。 この様な環境の中で、どうすれば、イエス様のように強くなれるのでしょうか?祈りと御言葉の時間を毎日持つことです。聖霊の助けを祈ることです。聖霊の力と導きがなければ、のりこえられません。いつ語るのか、いつ黙るのか、イエス様が十字架に掛かる前の一週間、見習いができることたくさんあります。

3.19.2021

最後の一週間

聖書朗読 ルカ19:28~48 32節 使いに出された二人が行って見ると、イエスが話されたとおりであった。 もうすぐ復活祭です!復活した一週間前にイエス様がエルサレムに近づきました。弟子たち二人にロバの手配をお願いしました。その細かいことまで支持をし、弟子たちが支持された通り行動しました。イエス様が彼らに支持しただけではなく、全て必要なものを備えていました。   私たちが何かの奉仕などをするようにイエス様に導かれたとき、イエス様は必ず私に必要な知恵や力を与えてくださいます。私たちを導き、守ってくださるイエス様に感謝します。

3.16.2021

感謝しない9割。

聖書朗読 ルカ17章 ルカ17:17~18 そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻ってきた者は、この外国人のほかには誰もいないのか。」 ハンセン病で苦しんでいた10人が、遠くからイエス様の憐れみを必死にお願いしていました。長年、町から離れた所、家族から離れて生活していたと思います。彼らはイエス様の命令に従いましたから、祭司に向かっていた途中に全員のハンセン病が治りました。しかし、イエス様に感謝を伝えたのはたった一人。 この話しを何回読んでも飽きません。毎回思いますが、2000年過ぎてますが人は変わってませんね。 多くの未信者は困ってる時だけ、「神様、助け」と叫ぶが、その問題が解決すると、神様を必要としない日々の生活に戻ります。 私たちは都合の良い時だけにではなく、どんな試練の中にいても、神様に感謝しましょう。周りの人たちの様な価値観ではなく、神様を第一に求めて、いつも感謝する者になりたい。 私たちは毎週日曜日、礼拝の時間に、賛美と祈りを通して神様に感謝を伝えています。しかし、平日でも必要ですね。

3.11.2021

多く与えられたならば。。。

聖書朗読 ルカ12:35-59 48節 多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。 昨日は送信しませんでしたが、ルカ12章の前半で、分かり易い聖句が多くあります。特に、22節から34節が好きです。 後半は説明が難しい聖句が多く、短いメールでは説明しきれません。聖句の一部だけを取り出すのは、間違った解釈につながる恐れがあるため、避けたいが、今日はお許しください。  48節の言葉はとても有名であり、ビジネスの世界でもよく聞きます。 私たちに任されている責任は小さいことでも大きいことでも、真面目に実行しましょう。または、神様から祝福されている私たちは、感謝して、周りの困っている人たちを祝福するべきです。「私は経済的にギリギリな所で生活しています。祝福されていません。」と思いがちですが、ルカの前半を見れば、それは違うとわかります。食べていますか?住む場所ありますか?着る服ありますか?祝福されています。神様が私たちの必要を満たしています。そして、福音を任されています。ただで頂き、ただで福音を他人に伝えられますので、これ以上の祝福はないでしょう。

3.09.2021

マスクと消毒しても、まだ汚いよ!

聖書朗読 ルカ11:29~54 39節 すると、主は言われた。「なるほど。あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。」 イエス様が食事の前に手を洗わなかったことで、彼らは驚きました。今の時代に例えると、消毒せずにマスクせずにお店に入ると言うようなものですかね?コロナ対策よりはもっと突っ込むと、美容や洋服に多額なお金をかけながら、自分の魂のことを一切考えない人です。良くいますね?多くの人は体の外見ばかり考えながら、自分の心の状態や神様との関係を考えてない。パリサイ派は宗教的な儀式を気にしていましたが、今の時代はそういう儀式よりは、文化に合わせたり、周りの価値観に合わせたりしています。大切にしているものがパリサイ派とは違いますが、外側ばかり考えている所は同じです。 私たちはいかがですか?外側よりは内側が大切であることを忘れずに信仰生活を歩む必要があります。

3.08.2021

うるさい親…どうすれば良いのか?

聖書朗読 ルカ11:1~28 28節 しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神の言葉を聞いてそれを守る人達です。」   親が何度も同じことを繰り返して子どもに言わないといけない場合があります。これはどういう時でしょうか?子どもが指示されたことを実行してないときですね。親に「うるさい」と口答えする場合もあります。考えてみれば、おかしいですね。一回目に従ってたら、繰り返す必要もなくなり、その「うるさい」親が静かになれます。 でももう一つおかしいと思う、子どもの口答えがあります。「わかった」。これは、素直に従いますの「わかった」でなく、「わかったから、もう言わなくていい」との意味で言ってます。「わかった」と言いながら、実行してない。 イエス様を愛しているクリスチャンは、イエス様の御言葉に従っているクリスチャンです。「わかった」と言っでからすぐ動く。

3.05.2021

Opinions are like belly buttons, everyone has one.

聖書朗読 ルカ9章1節から27節 18節 さて、イエスが一人で祈っておられたとき、弟子たちが一緒にいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆は私のことを誰だと言っていますか」 Opinions are like belly buttons, everyone has one. 「意見はおへそのようなもの、皆もっています」と言う英語があります。イエスは誰なのか?の質問の正しい答えは一つしかありません。20節にべテロが「神の子キリストです。」と答えてます。これは意見ではない。信仰告白です。イエス様についての意見はたくさんあります。意見は間違っても、持つのはその人の自由です。ただ、私たちクリスチャンがそれに合わせる必要もないし、相手の間違っている意見を認める必要もないのです。「あなたがそう思うんですね。」ではなく、「あなたがそう思うんですね。イエス様が唯一の神様であり、天国への道は一つしかありません。信じることができるように、お祈りしています。」と声かけて、多様な何でもありの社会にあわせないで行こう!

3.04.2021

神様の言葉を馬鹿にするな!

聖書朗読ルカ8章26ー56 53節 人々は娘が死んだ事を知っていたのでイエスをあざ笑っていた。 時代が変わっても、人は変わってません。今でも、多くの人たちは神様の御言葉に対してあざ笑っています。自分たちが知恵あるものだと思い込み、聖書の教えを馬鹿にするのです。ヤイロの娘は普通で考えるとき死んでましたし、彼らはそれを間違ってはいなかったでしょう。しかし、神様のくださる知恵(常識を含め)は普通ではなく、人間の知恵をはるかに超えてます。神様の道は人間の道より優れていますが、霊的の目、信仰によって見なければなりません。周りの人たちが聖書的な価値観をあざ笑っている時代ですが、その中でも、信じつづけましょう。

3.03.2021

嵐の中でも寝れる!

聖書朗読 ルカ8:1~25 24節 そこで、彼は近寄って行ってイエスを起こし、「先生。先生。私たちは溺れて死にそうです。」と言った。イエスは起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。 外に強い風や激しい雨が降ってるのに、全く気づかすで平均で寝れる人がいますが、うらやましいです。または、周りがうるさかったり、いろんな雑音がある所で平均で寝れる赤ちゃんを見るとき、「いいな」と思います。深く寝れる人やすぐ起きてしまう人、もちろんいろんな科学的な、医学的な説明もあるでしょうが、安心感があるからとも言えでしょう。 弟子たちの様に状況を見て心配するよりは、自然を支配している神様に信頼を起き、今日を歩みましょう。

3.02.2021

なぜ平安がないの?神様を自分の敵にしているからです!

聖書朗読 ルカ7章24ー50 50節 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」 2021年教会テーマは「平安をあなたがたに」ですが、平和や平安(安心)と関係ある聖句が聖書朗読にある時は、それをその日の一節デボージョンにしたいと思います。 多くの人(未信者)が日々の生活に平安がない一番の理由は悔い改めてない罪があるからです。神様と和解してないため、神様がくたざる本当の平安は与えられません。神様と和解すると、救われます。救われていると、試練があっても、その中にでも、不思議ですが、平安があります。 クリスチャンでも悔い改めてない罪があるかもしれません。これはクリスチャンなのに平安がない理由の一つです。神様と仲直りをして、人と仲直りをして、平安ある一日を過ごしましょう。

2.26.2021

「めんどくさい」と言わないで。

聖書朗読 ルカ5章 5節 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉通り、網をおろしてみましょう。」 私は最近よく聞く言葉は「面倒くさい。」恥ずかしいですが、私も結構言ってしまいます。DIYが趣味で楽しいですが、工事の後片付けが苦手で面倒くさいですね。私は経験ないですが、漁師の編みを洗ったり、キレイに整える作業は面倒くさい作業だと思います。想像してください。一晩働いて何もとれなかった。疲れているし、ガッカリしているし、早く片付けて帰りたいと思っている所で、イエス様のお願いは嬉しくなかったと思います。訳が分からなかったでしょうし、疑いもあるはずだし、でも従いました。その結果、魚たくさんとれました。弟子たちの人生を大きく変える出来事でした。 イエス様が私たちにも「深みにこぎだして」といっているかもしれません。私たちが諦めがちな、もう一度やってみるべきことありませんか?伝導?他人との仲直り?「今年こそやる!」と新年の書初め?など。イエス様がに導かれていることなら、何度でも立ち上がって、最スタートするべきです。

2.24.2021

「愛の神だから。。。」裁かれない訳ではない!

ルカ3:17 また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火でや焼き尽くされます。 先日もそうですが、何度も何十人と以下のような会話をしたことがあります。相手:「神は愛ですから、地獄はありません。皆天国に行きます。」信者: 「愛の神ですが、正義の神様でもあります。皆が裁かれないように、イエス様が十字架にかかりましたが、信じなければすでに裁かれてます。」 これはまとめですが、何となくわかるでしょう。 17節にもはっきりとヨハネがイエス様が来られる時の事が書かれてます。選択肢があります。裁かれるか、悔い改めるかです。 今もそうですね。裁かれなくて済む様に、キリストが来られました。これは愛ですが、受け入れるかしないかは、相手が決めるものです。信じなかったから、イエス様が悪いことにしたり、「愛の神だから裁かれない」とか都合のいい事を言っても真理は変わりません。

2.23.2021

無知な「専門家」に騙されない子育て

聖書朗読 ルカ2:21~52 40節 幼子は成長し、強くなり知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。 

Merry Christmas! 一年中お祝いするべき出来事です。ルカ2章前半はキリストの誕生の話しです。今日の聖書朗読は2章の後半で、幼いイエス様のいくつかの出来事が書かれてます。イエス様は罪を犯せなかったので、確かに育てやすい子どもだったと言えます。私たちの子どもと私たちも罪人なので、同じ程はできないかも知れませんが、それでも神様が喜ぶ子育てのためのヒントが2章にあります。 クリスチャンはイエス様から見習う者になるべきなので、幼いイエス様からでも見習いましょう。成長すること。強くなること。知恵に満ちること。この3つはどの親でも子どもに期待しています。ただ、今の子どもの「専門家」のアドバイスに従うと、この3つは無理です。無責任な弱い、自己中心の子どもが出来上がります。どうやって、知恵ある成長している強い子どもが育つのか?神様の恵みによります。そして、聖書、聖書、聖書!幼い時から聖書を教えることのみです。時代が変わっても、変わらない聖書を握り、神様の価値観で子育てしましょう。 

2.20.2021

不可能をなす神様

聖書朗読 ルカ1:1-38 37節 神にとって不可能なことは一つもありません。 多くの人は聖書に書いてある様々な奇跡等を読むと、「それは無理やろう」とおとぎ話かのように受け止めます。その一方、お化けの様なものが見えないのに、普通にその存在を信じたり、子どもに教えます。「八百万の神」を信じる方が有り得ない。聖書が教える真の神、唯一の神様を信じ、神様の偉大な力を信じ、神にとって不可能はないと信じる方が簡単だと思います。 処女マリヤが妊娠すること、お年寄りのエリザベツが妊娠すること、そして今、この街での奇跡、全て有りです。 どんな奇跡を祈りますか?病気の癒やし、人の救い、経済的な満たし?祈りましょう

2.19.2021

隠れていた信者

 聖書朗読 マルコ15章42節から16章20節

43節 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトの所に行き、イエスの体の下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、自らも神の国を待ち望んでいた人であった。

ヨセフは隠れ信者だったということで有名です。イエスの弟子になっていたが、公にはそれを周りに告白していないと思われます。しかし、他の弟子たちが去って隠れていたのに、ヨセフは「思い切って」ビラトの所に行きました。彼がイエス様をお墓に葬らなかったら、どうなっていたんでしょうね。すべて時があります。今日はもしかしたら、私たちが「思い切って」主のために証する日かもしれません

2.18.2021

イエス様が父に見捨てられた

 聖書朗読 マルコ15章1~41

34節 そして、3時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマサバクタニ。」と呼ばれた。それは訳すと、「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」という意味である。

私たちが里親になり、今まで経験したことがなかった様々な複雑な気持ちを経験するようになりました。実親を責めてはいけないと思いながら、やはり「なぜ自分の子どもを手放せるのか」と不思議に思う時があります。

イエス様は御父に捨てられのは間違いありません。これは事情があり子どもを手放すないといけない親のようにではなく、世を深く愛しておられからの行動です。十字架に掛かるまでのその日のイエス様が経験した苦しみ、そして十字架の苦しみはどんなに辛かったのか?それはすべて私のためでした。御父もイエス様を愛し、私達を愛しているからの十字架でした。

感謝します。

2.17.2021

眠くてどうしようもない時

 聖書朗読:マルコ14:32-72  

40節 そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。

先週の集会後の食事時に、時差ボケの話になりました。経験してない兄弟姉妹が時差ボケはどんな感じなのかを聞いていました。弟子たちはイエス様が捕まる直前に何と、寝てしまった!とにかく眠い!イエス様が一人で祈るために離れた場所に行き、戻ってくると毎回弟子たちが寝ていました。もちろん時差ボケではなかったが、いろんなことに対する不安や緊張感があり、大変疲れていたのではないでしょうか? 私は花粉症の薬でこの「とにかく眠い」というどうしようもない眠気がよくわかります。昨日は運転中に2回、赤信号で昼寝してしまいました。寝て良い時といけない時がありますね。霊的にはどうでしょうか?霊的には違いますね。寝ていい時がありません。 「目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。」第一コリント15.34 

目を覚まし、主をほめる一日となりますように。

2.16.2021

自分が強いと思っても。。。

 聖書朗読 マルコ14:1~31

31節 ペテロは力を込めて言い張った。「たといご一緒に死なければならないとしても、私はあなたを知らないなどとは決して申しません」皆のものもそう言った。

固く立つつもりであっても、目の前に試練があると、楽な道を選び、倒れてしまう経験はどのクリスチャンでも経験はあるでしょう。自分が強いから大丈夫だと思わないで、自分の弱さを認めたほうが勝利への道ではないでしょうか。

べテロはこのすぐ後に、「知らない」と3回もイエス様を否定しました。自分の弱さを赦し、私たちを強くしてくださるイエス様に感謝して、今日を生きましょう。

2.15.2021

簡単に壊される立派な建物

 マルコ13章

1.2節 イエスが、宮から出て行かれる時、弟子の一人がイエスに言った。「先生。これはまあ、なんとみごとな石でしょう。何と素晴らしい建物でしょう。」すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石が崩されずに積まれたまま残る事は決してありません。」

私は何度も言った事があります。都会に行き、狭い土地に立派な建物の工事を見る度に「すごい」と感動します。技術が進んでますので、機械を使い工事を簡単にできます。でもイエス様の時代は手作業がほとんどで、弟子たちが神殿を見て感動するのはおかしくありませんでした。

どんなに高級なブランド物、立派な建物でも、すべて目で見える物はいつか朽ちることになります。多くの人が欲しがる物は、いつか腐ったり、ボロボロ価値のない物になります。

神様が大切にしているのは、人の魂です。今日は仕事があることを感謝し、頑張りたいです。日常の必要な物の備えのために働きますが、神様を知らない人たちの様に、必要以上な空しい朽ちる物を追いかけることなく、他人とは違う価値観を持ちながら生活します。そして、彼らの魂の救いのために祈ります。

2.14.2021

神様にバレンタイン!

 聖書朗読 マルコ12章

30節 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。

Happy Valentines Day

今日は特別集会を開催すると検討していたが、結局は何も特別なことをせず、「普通の日曜日」になりました。「普通」と言っても、教会に行けること、神様に愛されて、神様を愛することは素晴らしい特権です。残念ながら普通ではない。と言うのは、多くの人にとっては今日は「普通の日曜日」にくわえて、チョコを交換しますね。普通に神様を無視し、普通に自己中心な一日を過ごします。神様の犠牲的な愛、想像しても理解できない恵みを受け入れずにバレンタインディを過ごす人がほとんどです。私たちが救われてたこと、兄弟姉妹と礼拝できること、感謝します。

2.12.2021

「男らしく」のような表現が禁じられても使う!

 聖書朗読 マルコ10章

6節 しかし、創造の初めから、神は人を男と女に造られたのです。

聖書の教えは簡単でわかり易い!先週の日曜日の説教にボード先生が一言言った通り、神様が男と女を創造し、男一人女一人が結婚するべきです。

大変シンプルなものなのに、今の時代は非常に難しくしています。

「男らしく」「女らしく」が禁止言葉になり、服装や髪型、男性の脱毛など、全く男女の区別が社会から消えてます。これでは、幸せになれるのか?なれません。神様の教えに従うことが唯一の幸せになる方法です。

謝りなく、自信がある信者になり、「神様の道」を周りに伝えましょう。

2.10.2021

何を言ったら良いかが分からない時

 聖書朗読 マルコ9章1~29

8節 実のところペテロは言うべきことがわからなかったのである。彼らは恐怖に打たれたのであった。

緊張や恐怖、またはその他の理由で、何を言ったらいいのかがわからない時、どうしますか?何も言わないタイプ?何かを言うけど後で反省するタイプ?人間は異なる性格があるので、人それぞれでしょうね。正解は無いかもしれませんが、失礼な事や嘘などをいうよりは、何も言わないのが一番いいかもしれません。

イエス様の姿が変わり、モーセとエリヤと話していた時、あまりにも驚きの事を見た3人の弟子は恐れました。リーダーのべテロが喋りだしたが、要らんことを言った不思議な空気になりました。

生活の中の色んな場面で、「何と言えば良いのか?」が分からない時がよくありますね。聖霊が私たちに話すべき言葉を教えてくれますので、お祈りしてお願いしましょう。

2.09.2021

遠くても会いたい

 聖書朗読 マルコ8章

2節 「かわいそうに。この群集はもう三日間も私と一緒にいて、食べるものを持ってないのです。」

先日教会の集会後に、二人の方を自宅まで初めて送りました。(一人は自宅まで、一人は駅まで).。車の中で、教会(小倉)に通っている方々の中で、遠くから来られている方が多いと言う話になりました。改めて皆さんの忠実を感謝する機会となる会話でした。

イエス様の話を聞くために、遠くから大勢の人たちが来ました。そして三日間も食事を取ることを考えずに、話を聞き続けました。すごいですね。 私の家族も毎週福岡から小倉にいきますが、居心地の良い車に乗り、食事も用意し、時にはおやつや飲み物を飲食しながら帰ります。犠牲ではないですね。昔の人たちの「イエス様に会いたい」の熱心さから学びたいです。喜んで教会に通い、イエス様を慕い求め、疲れていて必要な時にはイエス様の哀れみをいただきましょう。

2.06.2021

私の事を気にしてくれるイエス様

聖書朗読 マルコ5章

28節 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。

12年間、出血がとまらない婦人の言葉です。イエス様は忙しかったし、いつも大勢の人に囲まれていました。自分のためには時間はないでしょうと、この女はそう考えていたかもしれません。自分は汚い人でイエス様が自分に話しかけてくれないと思っていたかもしれません。でもこの女性の信仰がイエス様の目を引きました。

私たちも神様に近づける価値がないと思うことがあるかも知れません。平日はもちろんそうですが、日曜日は教会に来るときはこの女性と同じ熱心な心でイエス様を慕い求めるべきです。子どもたちにも教会に行く目的を教え、皆と一緒にイエス様と時間を過ごすことで癒やされます。大勢の人がいる中、イエス様が私に目を向けることを感謝します。

2.05.2021

日本人の心が変わるのか?

 聖書朗読 マルコ4章

20節 良い地に蒔かれるとは、み言葉を聞いて受け入れ、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ人達です。

私は畑などのことは詳しくありませんが、良い地とそうではない地があるのは理解でぎます。たくさん実るために色々しないといけません。その一つは地に色んな肥料を入れて良くすることです。御言葉を聞く耳がある人の少ない国かもしれませんが、心を変える力がある聖霊がいます。 

私をはじめ、日本の多くの人の心が良い地になるように、お祈りしています

2.04.2021

安息日以上に大切なことがある

聖書朗読 マルコ3章

5節 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元通りになった。

平和を保つのは立派なことですが、無理な場合があります。どんなときでも、何があっても対立を避け、平和を選ぶ日本ですが、それは本当の平和なのでしょうか?

パリサイ派は、病人の癒やしよりは自分たちが作った安息日の法律を優先していました。癒やされた病人の事を喜べばいいのに、「イエス様が安息日を守ってない!」と嫌がっていました。彼らの不信仰に対してイエス様が怒りました。これは正しい怒りです。罪ではありません。私たちにも、平和を保つのか神の真理を語るのか、と言う選択肢が毎日あります。時には罪に対する怒りも必要でしょう。偽物の平和を目指すよりは、人の心に本当の平安ご与えられるように、イエス様から見習いましょう。

2.03.2021

聖書の取税人って、現在のNHK営業の人に似てる?

 聖書朗読 マルコ2章

14節 イエスは道を通ながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「私についてきなさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

当時は収税人は大変嫌われる仕事でした。ローマのための税金だからですが、まともな人なら、ユダヤ人はそんな仕事をしているはずがない。今の職業にすると、契約を取ろうとする各戸を回るnhkの方に近いでしょうか?

レビ(マタイ)はずるいことをして自分の高収入を得ていました。

「私がイエス様だったら」の視点から考えるのは良くないかもしれませんが、お許しください。絶対にレビの様な人を弟子にしてないと思います。

イエス様の愛と恵みは素晴らしい。どんな罪深い人でもお赦しすることができますし、その人を福音のために用いることができます。

2.02.2021

消毒を気にしていないイエス様

 聖書朗読 マルコ1章

41節 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼に触って言われた。「私の心だ。きよくなれ.」

最近見たテレビ番組ですが、様々な恐怖症がある主人公が、ハンン病の患者と握手した後、手を100回以上洗っていました。そこまでではないですが

今のコロナにかかる不安が社会を大きく変えてます。いつも以上に手を洗ったり、消毒したり、近くにいる人が嚔すると、マスクしてるかどうかと自分との距離を確認しますね。

こんな時代の中だからなのかわかりませんが、この節を見たらいつも以上に感動しました。イエス様がハンセン病の監視を癒す時、手を伸ばして彼を触りました!触らなくても癒せたのに、触りました。律法ではハンセン病の患者は他人に近づけなく、大変な寂しい人生を生きていました。

イエス様の優しさに今朝は新たに感動しました。

2.01.2021

恐ろしく喜ぶ?

 聖書朗読 マタイ28章

8節 そこで、彼女達は恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。

この聖句にある「恐ろしくはあったが大喜びで」は面白い表現だと思います。普通で考える反対に近い感情で、同時に感じる経験は少ないのではないでしょうか?

生活のなかでどういう時に恐れと喜びを同時に経験するかというと、私の場合はジェットコスター乗ってるときです。乗ってる時に「こわい」と思わないと二度と乗りません。怖いと思うのが楽しいのです。

イエス様の復活を聞いた彼女たちは複雑な気持ちでしたね。イエス様の復活は私たちの日々の生活に希望を与える素晴らしい出来事ですから、イースターだけではなく、毎日お祝いしたいですね。

今週も不安を与える出来事も喜ぶ出来事もあるでしょうが、ジェットコスター乗ってる様な一週間になったとしても、主の復活が与える希望を忘れずに歩みましょう。

1.30.2021

「やってない!」と言わないイエス様

 聖書朗読 マタイ27∶1~32

マタイ27章12節 しかし祭司長、長老たちから訴えがなされた時は、何もお答えにならなかった。


ユダヤの王様かどうかと聞かれた時はイエス様ははっきり「その通りです」と答えましたが、その他のことについては偽証言でしたので、何も答えませんでした。何一つ悪いことをしていないのに、犯人扱いされても何も答えないというのは、かなりの自制が必要ですね。もちろん神様だからできたことですけど私たちになると難しいですよね。

アメリカのテレビ番組になると警察に捕まえた犯人はもし本当に無罪でしたら、一生懸命「やってない」と主張します。有罪の犯人でも多くの場合はやってないと主張します。

なぜイエス様は何も言わなかったのでしょうか?十字架にかかる事が神様のご計画だったからです。なんという素晴らしい愛..

1.28.2021

「もったいない」の使いすぎ、矛盾

 聖書朗読:マタイ26章

マタイ26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。」

でた!私が日本に来た初めのごろ、挨拶以外にどの言葉より多く聞いた単語は「もったいない」(無駄)。そのごろは、一面の「もったいない」キャンペーンの大きな広告がよく新聞に載ってました。なんでもかんでも使い捨てできる商品を買いますから、アメリカ人は他国よりは比較的もったいないことしていると言ってもいいかもしれません。ただ、当時はとても不思議に思ったのは、小さな買い物に対して「もったいない」と教会員に言われながら、大きなものの「もったいない」はどうなっているのか?例えば、30年おきに家を建て替える人が多い国です。


何が「もったいない」なのか、そうではないのかは人それぞれですね。弟子たちはこの女性が高い香油をイエス様の頭に注ぐのを見ると憤慨しました。貧乏の人を助けるために施ししたほうがいいと言う意見でしたね。しかし、彼女がしたことは立派でした。イエス様のためにすることは「もったいない」や「無駄」とは言えません。立派のことです。


1.27.2021

他人を助けることにより、主に仕える

聖書朗読:マタイ25章

マタイ25:40 『まことに、あなたがたに告げます。あなた方が、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです』。

私たちが困っている人を助けるときがあります。その時、自分が親切なことをしたと思ってしまい、少し自己満足してしまう可能性があります。または、他人を助けるべきだと聖霊に導かれるのに、従わないときもあるでしょう。私たちが他人を助ける時、実はそれがイエス様自身にしたことになります。たがら、お礼をいただくためにではなく、自己満足のためにではなく、天に宝を貯えるためと主を喜ばすためにしましょう。私たちが歩くのも、食べるのも、仕事するのも、そして、他人を助けるのも、全て主のためにしましょう。

1.26.2021

今日が最後かもしれません

 聖書朗読 マタイ24章

マタイ24.44 だから、あなた方も用心していなさい。なぜなら、人の子は思いがけない時に来るのですから。


マタイ24章には艱難時代の7年間の出来事が書かれています。今救われている私たちは、艱難時代はこの世にいなく、艱難時代が始まる前にイエス様が私たちを迎えに来られます。


いないと言っても、24章にある出来事の一部はすでに現在にも同じ出来事が見られます: 戦争、偽預言者、迫害など。


イエス様がこられるのが近いということが分かります。それが今日かもしれません。いつまであるのかが分からないので、きょうまでしかないと考えながら、今日を生きたいです。


1.25.2021

自己アピールは危険

 聖書朗読 マタイ23章

マタイ23.5 彼らのしていることはみんな人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。


家にいる里子は毎日の様に、「僕すごいでしょう」とか「おれ天才だ」と簡単なことをできた時でも言ってきます。自己アピールが多くて周りがそれで疲れる場合がありますが、しかし、かわいいです。子どもの自己肯定感を育つためにはある程度、褒めるのが大事ですが、褒めすぎるのは危険だと思います。


律法学者やパリサイ派は外側には立派な宗教熱心な方々でした。服装を含め、いろんな方法で周りの皆さんに自分の立派さを自己アピールしました。しかし、本当の信仰は神様の御前にへりくだってるべきです。周りに認められてもそうではなくても、大丈夫です。神様に喜ばれるような信仰生活を目標にしましょう。

1.23.2021

人に拒否されるのはキツイ!

聖書朗読: マタイ21章

マタイ21.42

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書の言葉を読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。』

誰かに拒否されるのは受け入れ難い、ずっと残る傷になる場合がある。人間は周りに自分を受け入れて欲しい、仲間はずれにされたくないのが普通です。子どもの頃に誰かに告白したのに拒否されたり、クリスチャンになり信仰を家族に伝え拒否されたり、誰でもどこかでいつか他人に拒否される経験します。

イエス様も経験しました!しかし、見捨てられた石が礎になりました。神様が私たちを受け入れたならば、人に見捨てられても気にしないようにならなければなりません。

1.22.2021

1月22日

聖書朗読: マタイ20章 マタイ20.28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分の命を与えるためであるのと同じです。 この章のテーマを挙げるとしたら、色々可能性がありますが、「公平」というテーマも考えられます。章の最初の例え話では、1日働いた人が「不公平だ」と叫ぶのが聞こえてきたし、他の弟子たちより自分が偉いと思う弟子たちに対しても聞こえる。 毎日の生活の中に色々と納得できない不公平が起きるが、私たちは自分を守る事に努力するよりは、イエス様の仕える姿から学びましょう。不公平と言えば、罪人のために自分のいのちを捨てたイエス様は一番の例ではないでしょうか?感謝します。

「不公平だ」と叫ぶのをやめよう

聖書朗読: マタイ20章

マタイ20.28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分の命を与えるためであるのと同じです。

この章のテーマを挙げるとしたら、色々可能性がありますが、「公平」というテーマも考えられます。章の最初の例え話では、1日働いた人が「不公平だ」と叫ぶのが聞こえてきたし、他の弟子たちより自分が偉いと思う弟子たちに対しても聞こえる。

毎日の生活の中に色々と納得できない不公平が起きるが、私たちは自分を守る事に努力するよりは、イエス様の仕える姿から学びましょう。不公平と言えば、罪人のために自分のいのちを捨てたイエス様は一番の例ではないでしょうか?感謝します。

1.21.2021

子どもは邪魔者じゃない!

今日の聖書朗読:  マタイ19章

マタイ19.14

しかしイエスは言われた..「子供たちを許してやりなさい。邪魔をしないで私のところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」

イエス様から祝福を頂こうと思い、誰かがイエス様の所に子どもたちを連れて来られましたが、弟子たちがとめようとしました。イエス様に褒められると思ったでしょうね!でも、逆でした。

教会の子どもたちは宝です。元気が良い、笑顔が良い素敵な子どもたちです。そして、大人たちの扱いも素敵です。子どもが邪魔していると思うことなく、見守っていますね。子どもとその親が増えますように、そして子どもたちが神の愛と恵みを若いときに受け入れますように、お祈りする毎日です。

1.15.2021

1月15日

聖書朗読: マタイ13章 マタイ13.16 しかし、あなた方の目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。 耳や目、体の各器官はそれぞれの目的のために創られました。もちろん障害があって上手く使えない状態の方々もいますが、目と耳にそういう問題はない限り、使えるはずです。子どものごろ、何かを見たくないから手で目をふさいだり、聞きたくないから、耳を手で聞けないようにしました。ただ、音や光がまだ少し入ってきます。 今日の13章は霊的にこういうことが起きてます。聞こえようと思えば聞こえるのに、聞きたくない人たちです。彼らのために祈りながら、御言葉を聞ける私達は幸いですから、感謝しましょう。

1.14.2021

1月14日

聖書朗読: マタイ12章 マタイ12:49~50 それから、 イエスは手を弟子たちの方に差し伸べて言われた。「見なさい。私の母、私の兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行う者は誰でも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」 家族っていいなあ。長い一日が終わり、家に帰ってきて、家族と時間過ごせるのは幸せなことですね。 より幸せなことがあります。霊的な家族と時間を過ごすことです。長い一週間が終わり、新しい週の始まりの日曜日に皆さんと時間過ごせるのは幸せなことです。感謝します。 イエス様が血縁が繋がってる家族よりは霊的な家族が大事だと教えました。2021年に那珂川 の家族が増えますように!

1.13.2021

1月13日

聖書朗読: マタイ11 マタイ11:25.26 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢いものや知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです。父よ。これが御心にかなったことでした。」 学歴が何より大切のではなく、福音を聞き、素直に受け入れて救われることが全てです。子どもが勉強に集中し、いい成績をとり、未来にはいい大学、いい会社に就職してほしいと思うのは一般的な親としての考えです。しかし、クリスチャンである私たちはそれ以上に大切にしなければならないのは、子どもに神様のことを教えることです。 知恵があるとあるほど、霊的なことが理解出来なくなります。なぜなら、神様の知恵は人間の知恵より勝っているからです。(第一コリント1章) マタイ11:28は有名な箇所ですね。疲れている人はなぜ疲れているのでしょう?もしかしたら、世の中の考え方についていこうとしたから?彼らの優先順位や価値観にあわせようとしたらかもしれません。 幼子たちの心で今日を行きます。子どものようなエネルギーがわいてくるかもしれません。

1.12.2021

1月12日

聖書朗読: マタイ10章 マタイ10:16 いいですか。私が、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。 英会話の大人クラスで会話の練習の一つで、生徒に「動物に慣れたら、何になりたい?なぜ?」とよく聞きました。狼。羊。蛇。鳩。と答えた人は今までいませんでした。 特に蛇ですが、あまり良い印象がないから選ばれてないでしょうね。動物はそれぞれ長所と短所があります。生徒の答えと説明は毎回面白かったです。   イエス様が弟子たちを遣わした時、神の国を述べ伝えるために必要な知恵と力を与えました。その使命を全うするために狼の中の羊のようになるとイエス様が教えました。 狼に殺されないためには、蛇の賢さと鳩の素直さが必要でした。今の時代を伝導するためには、私たちも蛇の様に賢くならなければなりません。ヘビというとあまり良いイメージはないですが、賢くて強いですね。自分の体より大きな的を倒して食べれます。鳩の様に素直で、羊のように 羊飼いに従うことも大切です。

1.11.2021

1月11日

聖書朗読: マタイ9章 マタイ9:36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。 私もイエス様の優しい目で人たちを見たい。しかし、多くの場合は未信者の行動を見て、イライラしてしまいます。本人は気づいてないが、神様を知らない人たちだからかわいそうな生活をしています。風を追うような人生ならば、当然彼らは疲れます。もっといい方法がありますよ!と叫びたくなります。 「イエス様、あなたの優しい目で人たちを見ることができますように助けてください。」と祈り、今日を始めました。

1.07.2021

1月7日

聖書朗読: マタイ5章 マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 「平安をあなたに」(平和も)がクリスチャン、または教会がこの世に発信するメッセージであるべきです。しかし、3日の集会で学んだ通り、世の人が考える平和と聖書が教えている平和は同じではありません。 昨日、配達中にある不動産会社の建物に面白い英語がありましたから、停まって写真取りました。「Imagine all the people living life in peace 」(すべての人たちが平和の中に生きていることを想像してください。) これを見たとき、すべての人が福音を受け入れて救われることを想像してみました。 平和の中に生きる= 福音を受け入れる 神様と和解することで本当の平安が与えられます。そして、すべての人が本当の平安があれば、世の中は平和で満ちあふれます。

1.06.2021

1月6日

聖書朗読: マタイ3-4章 マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による』と書いてある。」 最近はある人と知り合ったことで、「食生活」に対して色々と考えさせられてます。いきなり食べるものを変えると難しいので、少しづつですが、まずはお菓子を減らすことから始めることにしました。 「しました」と言ってもうまく行きません。人間はどんなに食べるのが好きなのか! 神様の御言葉をそれ以上に必要な物にし、好きになるべきです。私たちを通して多くの人たちが世界のがベストセラーの聖書とであいますように!

1.05.2021

1月5日

今日の読む箇所: マタイ1:18~2:23 マタイ1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられた通りにしてその妻を迎え入れた。 実行力ありますか?先日はある人から新年の挨拶のラインが来ました。「マイケルを見習って、今年こそは、私も行動できる人になりたいと思っています。」と書いてありましたが、困りました。今は私の散らかっている事務所にいますが、「片付けなきゃ」といつも思うけど実行しないし、相手は教会の働きに対してそういうことを言ってくれたわけではなく、別の活動に対して言ってくれただけです。 やりやすいこと、やりたいことなどなら誰でもすぐに行動できますが、難しいことや面倒なことなら、やる気が出にくくなります。周りの人たちと違う行動、または、周りが理解しない私たちのクリスチャン生活などのことなら、より行動しにくくなりますね。 夢から目が覚めてすぐに行動したヨセフに見習いましょう。

「真生留」

キラキラネームが多くて漢字が読めないこの時代ですから、私も「自分の名前の漢字を勝手に選ぼう」と数年前に思いました。最初はラインのIDに使っていただけですが、最近は仕事関係や名刺などでも使うようになりました。その漢字を選んだ理由を説明します。 真 (ま)  生 (いけ)  留 (る...