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「やってない!」と言わないイエス様

 聖書朗読 マタイ27∶1~32 マタイ27章12節 しかし祭司長、長老たちから訴えがなされた時は、何もお答えにならなかった。 ユダヤの王様かどうかと聞かれた時はイエス様ははっきり「その通りです」と答えましたが、その他のことについては偽証言でしたので、何も答えませんでした。何一つ悪いことをしていないのに、犯人扱いされても何も答えないというのは、かなりの自制が必要ですね。もちろん神様だからできたことですけど私たちになると難しいですよね。 アメリカのテレビ番組になると警察に捕まえた犯人はもし本当に無罪でしたら、一生懸命「やってない」と主張します。有罪の犯人でも多くの場合はやってないと主張します。 なぜイエス様は何も言わなかったのでしょうか?十字架にかかる事が神様のご計画だったからです。なんという素晴らしい愛..

「もったいない」の使いすぎ、矛盾

 聖書朗読:マタイ26章 マタイ26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。」 でた!私が日本に来た初めのごろ、挨拶以外にどの言葉より多く聞いた単語は「もったいない」(無駄)。そのごろは、一面の「もったいない」キャンペーンの大きな広告がよく新聞に載ってました。なんでもかんでも使い捨てできる商品を買いますから、アメリカ人は他国よりは比較的もったいないことしていると言ってもいいかもしれません。ただ、当時はとても不思議に思ったのは、小さな買い物に対して「もったいない」と教会員に言われながら、大きなものの「もったいない」はどうなっているのか?例えば、30年おきに家を建て替える人が多い国です。 何が「もったいない」なのか、そうではないのかは人それぞれですね。弟子たちはこの女性が高い香油をイエス様の頭に注ぐのを見ると憤慨しました。貧乏の人を助けるために施ししたほうがいいと言う意見でしたね。しかし、彼女がしたことは立派でした。イエス様のためにすることは「もったいない」や「無駄」とは言えません。立派のことです。

他人を助けることにより、主に仕える

聖書朗読:マタイ25章 マタイ25:40 『まことに、あなたがたに告げます。あなた方が、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです』。 私たちが困っている人を助けるときがあります。その時、自分が親切なことをしたと思ってしまい、少し自己満足してしまう可能性があります。または、他人を助けるべきだと聖霊に導かれるのに、従わないときもあるでしょう。私たちが他人を助ける時、実はそれがイエス様自身にしたことになります。たがら、お礼をいただくためにではなく、自己満足のためにではなく、天に宝を貯えるためと主を喜ばすためにしましょう。私たちが歩くのも、食べるのも、仕事するのも、そして、他人を助けるのも、全て主のためにしましょう。

今日が最後かもしれません

 聖書朗読 マタイ24章 マタイ24.44 だから、あなた方も用心していなさい。なぜなら、人の子は思いがけない時に来るのですから。 マタイ24章には艱難時代の7年間の出来事が書かれています。今救われている私たちは、艱難時代はこの世にいなく、艱難時代が始まる前にイエス様が私たちを迎えに来られます。 いないと言っても、24章にある出来事の一部はすでに現在にも同じ出来事が見られます: 戦争、偽預言者、迫害など。 イエス様がこられるのが近いということが分かります。それが今日かもしれません。いつまであるのかが分からないので、きょうまでしかないと考えながら、今日を生きたいです。

自己アピールは危険

 聖書朗読 マタイ23章 マタイ23.5 彼らのしていることはみんな人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。 家にいる里子は毎日の様に、「僕すごいでしょう」とか「おれ天才だ」と簡単なことをできた時でも言ってきます。自己アピールが多くて周りがそれで疲れる場合がありますが、しかし、かわいいです。子どもの自己肯定感を育つためにはある程度、褒めるのが大事ですが、褒めすぎるのは危険だと思います。 律法学者やパリサイ派は外側には立派な宗教熱心な方々でした。服装を含め、いろんな方法で周りの皆さんに自分の立派さを自己アピールしました。しかし、本当の信仰は神様の御前にへりくだってるべきです。周りに認められてもそうではなくても、大丈夫です。神様に喜ばれるような信仰生活を目標にしましょう。

人に拒否されるのはキツイ!

聖書朗読: マタイ21章 マタイ21.42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書の言葉を読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。』 誰かに拒否されるのは受け入れ難い、ずっと残る傷になる場合がある。人間は周りに自分を受け入れて欲しい、仲間はずれにされたくないのが普通です。子どもの頃に誰かに告白したのに拒否されたり、クリスチャンになり信仰を家族に伝え拒否されたり、誰でもどこかでいつか他人に拒否される経験します。 イエス様も経験しました!しかし、見捨てられた石が礎になりました。神様が私たちを受け入れたならば、人に見捨てられても気にしないようにならなければなりません。

1月22日

聖書朗読: マタイ20章 マタイ20.28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分の命を与えるためであるのと同じです。 この章のテーマを挙げるとしたら、色々可能性がありますが、「公平」というテーマも考えられます。章の最初の例え話では、1日働いた人が「不公平だ」と叫ぶのが聞こえてきたし、他の弟子たちより自分が偉いと思う弟子たちに対しても聞こえる。 毎日の生活の中に色々と納得できない不公平が起きるが、私たちは自分を守る事に努力するよりは、イエス様の仕える姿から学びましょう。不公平と言えば、罪人のために自分のいのちを捨てたイエス様は一番の例ではないでしょうか?感謝します。

「不公平だ」と叫ぶのをやめよう

聖書朗読: マタイ20章 マタイ20.28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分の命を与えるためであるのと同じです。 この章のテーマを挙げるとしたら、色々可能性がありますが、「公平」というテーマも考えられます。章の最初の例え話では、1日働いた人が「不公平だ」と叫ぶのが聞こえてきたし、他の弟子たちより自分が偉いと思う弟子たちに対しても聞こえる。 毎日の生活の中に色々と納得できない不公平が起きるが、私たちは自分を守る事に努力するよりは、イエス様の仕える姿から学びましょう。不公平と言えば、罪人のために自分のいのちを捨てたイエス様は一番の例ではないでしょうか?感謝します。

子どもは邪魔者じゃない!

今日の聖書朗読:  マタイ19章 マタイ19.14 しかしイエスは言われた..「子供たちを許してやりなさい。邪魔をしないで私のところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」 イエス様から祝福を頂こうと思い、誰かがイエス様の所に子どもたちを連れて来られましたが、弟子たちがとめようとしました。イエス様に褒められると思ったでしょうね!でも、逆でした。 教会の子どもたちは宝です。元気が良い、笑顔が良い素敵な子どもたちです。そして、大人たちの扱いも素敵です。子どもが邪魔していると思うことなく、見守っていますね。子どもとその親が増えますように、そして子どもたちが神の愛と恵みを若いときに受け入れますように、お祈りする毎日です。

1月15日

聖書朗読: マタイ13章 マタイ13.16 しかし、あなた方の目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。 耳や目、体の各器官はそれぞれの目的のために創られました。もちろん障害があって上手く使えない状態の方々もいますが、目と耳にそういう問題はない限り、使えるはずです。子どものごろ、何かを見たくないから手で目をふさいだり、聞きたくないから、耳を手で聞けないようにしました。ただ、音や光がまだ少し入ってきます。 今日の13章は霊的にこういうことが起きてます。聞こえようと思えば聞こえるのに、聞きたくない人たちです。彼らのために祈りながら、御言葉を聞ける私達は幸いですから、感謝しましょう。

1月14日

聖書朗読: マタイ12章 マタイ12:49~50 それから、 イエスは手を弟子たちの方に差し伸べて言われた。「見なさい。私の母、私の兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行う者は誰でも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」 家族っていいなあ。長い一日が終わり、家に帰ってきて、家族と時間過ごせるのは幸せなことですね。 より幸せなことがあります。霊的な家族と時間を過ごすことです。長い一週間が終わり、新しい週の始まりの日曜日に皆さんと時間過ごせるのは幸せなことです。感謝します。 イエス様が血縁が繋がってる家族よりは霊的な家族が大事だと教えました。2021年に那珂川 の家族が増えますように!

1月13日

聖書朗読: マタイ11 マタイ11:25.26 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢いものや知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです。父よ。これが御心にかなったことでした。」 学歴が何より大切のではなく、福音を聞き、素直に受け入れて救われることが全てです。子どもが勉強に集中し、いい成績をとり、未来にはいい大学、いい会社に就職してほしいと思うのは一般的な親としての考えです。しかし、クリスチャンである私たちはそれ以上に大切にしなければならないのは、子どもに神様のことを教えることです。 知恵があるとあるほど、霊的なことが理解出来なくなります。なぜなら、神様の知恵は人間の知恵より勝っているからです。(第一コリント1章) マタイ11:28は有名な箇所ですね。疲れている人はなぜ疲れているのでしょう?もしかしたら、世の中の考え方についていこうとしたから?彼らの優先順位や価値観にあわせようとしたらかもしれません。 幼子たちの心で今日を行きます。子どものようなエネルギーがわいてくるかもしれません。

1月12日

聖書朗読: マタイ10章 マタイ10:16 いいですか。私が、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。 英会話の大人クラスで会話の練習の一つで、生徒に「動物に慣れたら、何になりたい?なぜ?」とよく聞きました。狼。羊。蛇。鳩。と答えた人は今までいませんでした。 特に蛇ですが、あまり良い印象がないから選ばれてないでしょうね。動物はそれぞれ長所と短所があります。生徒の答えと説明は毎回面白かったです。   イエス様が弟子たちを遣わした時、神の国を述べ伝えるために必要な知恵と力を与えました。その使命を全うするために狼の中の羊のようになるとイエス様が教えました。 狼に殺されないためには、蛇の賢さと鳩の素直さが必要でした。今の時代を伝導するためには、私たちも蛇の様に賢くならなければなりません。ヘビというとあまり良いイメージはないですが、賢くて強いですね。自分の体より大きな的を倒して食べれます。鳩の様に素直で、羊のように 羊飼いに従うことも大切です。

1月11日

聖書朗読: マタイ9章 マタイ9:36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。 私もイエス様の優しい目で人たちを見たい。しかし、多くの場合は未信者の行動を見て、イライラしてしまいます。本人は気づいてないが、神様を知らない人たちだからかわいそうな生活をしています。風を追うような人生ならば、当然彼らは疲れます。もっといい方法がありますよ!と叫びたくなります。 「イエス様、あなたの優しい目で人たちを見ることができますように助けてください。」と祈り、今日を始めました。

1月7日

聖書朗読: マタイ5章 マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 「平安をあなたに」(平和も)がクリスチャン、または教会がこの世に発信するメッセージであるべきです。しかし、3日の集会で学んだ通り、世の人が考える平和と聖書が教えている平和は同じではありません。 昨日、配達中にある不動産会社の建物に面白い英語がありましたから、停まって写真取りました。「Imagine all the people living life in peace 」(すべての人たちが平和の中に生きていることを想像してください。) これを見たとき、すべての人が福音を受け入れて救われることを想像してみました。 平和の中に生きる= 福音を受け入れる 神様と和解することで本当の平安が与えられます。そして、すべての人が本当の平安があれば、世の中は平和で満ちあふれます。

1月6日

聖書朗読: マタイ3-4章 マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による』と書いてある。」 最近はある人と知り合ったことで、「食生活」に対して色々と考えさせられてます。いきなり食べるものを変えると難しいので、少しづつですが、まずはお菓子を減らすことから始めることにしました。 「しました」と言ってもうまく行きません。人間はどんなに食べるのが好きなのか! 神様の御言葉をそれ以上に必要な物にし、好きになるべきです。私たちを通して多くの人たちが世界のがベストセラーの聖書とであいますように!

1月5日

今日の読む箇所: マタイ1:18~2:23 マタイ1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられた通りにしてその妻を迎え入れた。 実行力ありますか?先日はある人から新年の挨拶のラインが来ました。「マイケルを見習って、今年こそは、私も行動できる人になりたいと思っています。」と書いてありましたが、困りました。今は私の散らかっている事務所にいますが、「片付けなきゃ」といつも思うけど実行しないし、相手は教会の働きに対してそういうことを言ってくれたわけではなく、別の活動に対して言ってくれただけです。 やりやすいこと、やりたいことなどなら誰でもすぐに行動できますが、難しいことや面倒なことなら、やる気が出にくくなります。周りの人たちと違う行動、または、周りが理解しない私たちのクリスチャン生活などのことなら、より行動しにくくなりますね。 夢から目が覚めてすぐに行動したヨセフに見習いましょう。