12.17.2019

人生の基礎工事

彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。エズラ記3:11 イスラエルがバビロン補囚を終え、約束地に戻れた時、破壊された神殿の再建に励んだ。彼の賛美、喜びは神殿の基礎の工事が完了した時。建物だけではなく、人生にもですが、基礎は何よりも大切です。 この世の「道徳」「常識」「人権」などが常に変わってます。毎日のように新しい流行り、バカバカしい教えが発表されます。学校で子どもたちが「義務教育」の名で毎日洗脳されてます!子どもは親の責任であり、道徳と言う人生の基礎を教えるのが親の責任です。聖書は永遠に変わらない神様の言葉です。変わらないからこそ、人生の基礎に出来ます。今日は人生の基礎工事に取り掛かってください。自分の責任であるものを人に任してはならない!

12.12.2019

正直者になって、一日が始まる

私は主に向かい、声を上げて叫びます。声を上げ、主にあわれみを請います。私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前にに言い表します。詩篇142:1-2 今朝は毎朝と同じように、主の御前に集い、正直な気持ちを主に伝えましょう。喜びなら喜び、愚痴なら愚痴でいいのです。正直者は癒やされますし、助けられます。

12.11.2019

VIPは一人もいない

それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。 エステル記3:2 当然、信者は神様しか拝みません。偶像はもちろんですが、自分がVIPと思い込んでる者を含め、拝みません。先日「あらし」がヤフオクドームに来たそうですが、これもただの人間にずぎません。「キャー」ってバカみたいに有名人を追いかけるのはクリスチャンらしくない。モルデカイのように、強い精神の持ち主になり、神様だけ!にしましょう。

12.04.2019

本音と建前

日本の文化の一つで、日本に住んでいる外国人を何より困らせるのは:本音と建て前です。私は人を信じたいですが、本音と建て前がある限り、何を言われても信じるのは難しい。常に「本音なのかな」という疑いがありますし、日本人同士でもこれは人間関係を複雑にする、必要ないものです。言い直しますと、メリットは何一つありません。

日本はサービス業は世界一と言っていいですし、綺麗な国でもあります。人はとても親切に見えます。住みやすいのは間違いありません。しかし、第一印象と実際の文化は矛盾しているのではないでしょうか?たとえば、親切な人が多いですが、これは知っている人が近くにいるときだけではないでしょうか?知らない人に囲まれると自己中がでてきますね。赤信号を無視する車の数を見れば、分かり易いです。

海外に行くとはっきりしている人が多く困ることがありますね。聖書はどのように教えているのでしょうか?

マタイ5:37 だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

聖書は建前ではなく、本音の世界です。本音しか話さない人との会話は非常に簡単です。「先言われたことは本音かな?」と迷わずに信じれるからです。精神的に楽です。精神的に病んでいる人が多いこの国、「本音しか話さない」人になりませんか?新しい時代の流行りにしませんか?

11.13.2019

6千年以上続いてる戦争

「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。 詩篇124:1,8 私たちは大戦争の最中であること気づきましたか?霊的な戦いです。聖書の真理vs悪魔です。言い直すと、聖書の世界観と価値観vs 人間主義(humanism) です。 エゼキエル24-25章ではイスラエルの敵が神様に裁かれる話しが書いてあります。神様がイスラエル人の味方であるように、私たちの味方でもあります。今の時代の狂った価値観や世界観に負けている失望者ではなく、勝利者として自信を持って今日を生きましょう。

11.11.2019

差別と区別の違い

那珂川市は全国のどこの市町村と同じように、人権教育に力を入れています。ただ、「区別」と「差別」の違いが理解できてないそうです。それにより、今の若い世代は人権の意味を勘違いしているようで、洗脳されていると言いたいところです。この世代が大人になると心配です。

11月の広報なかがわ(19ページ)をご覧ください。同性婚を認めるべきだと主張している6年生の作文です。親や先生方に言われた通りに書いてあるだけで、12歳の子がすでに結婚について混乱しているのは可愛そうに思います。

人権という言葉の意味、皆さんは正しく理解していますか?HUMAN RIGHTSという英語になりますが、昔は本当の差別があり、とても必要な活動だったと思います。しかし、今の時代はよく「人権」を言いますが、何かの権利が侵害されているわけではなく、自分のわがままな主張を社会全体に無理に押し付けるために、適当に「人権」や「差別」という言葉を使っているにすぎません。

一番わかりやすい例はLGBTの問題です。男同士、女同士が結婚できないというのが差別であれば、自分の犬と結婚できないことや自分の子どもと結婚できないことも差別だと言わなければならない。自然界と神様のご計画に反するものを普通だというのならば、全部認めない限りは矛盾です!もちろんいけませんが、もしある男性が8歳の女子と結婚したいと言い出したら、何を言って止めますか?法律から論じますか?8歳の女子の人権から論じますか?常識から論じますか?何を言おうとしても、同性婚が普通と思う人は何も返事できなくなります!

差別と区別は同じものにしないでください。聖書は差別はいけないものだけど、区別は必要なものだと教えています。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」聖書 (創世記1:27)

神様は男と女を造り、それ以外のジェンダーはありません。複数のジェンダがあるとか、体が男だけど心が女とか、これはただ最近の流行りであり、人間が作り出したものです。誰もはっきり言わない時代ですが、聖書ははっきりしていますので、私は謝りなくはっきり言います。

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。 聖書(エペソ5:22-24)

神様が家庭のリーダーは夫だと定めています。これも差別ではなく、区別です。多くの家庭では妻が主導権を握っています。夫が仕事から帰ってきたら、妻が夫にあれこれ要求したり命令したりする家庭が多いのではないでしょうか?夫がそんな空気の家庭に帰りたいと思うはずないでしょう!家庭のことを奥さんに任せ、奥さんがすべてを一人でして当然疲れます。ほとんどの社会の問題は家庭から始まっています。家庭が家族全員にとって安らぎの場所であるならば、多くの問題の解決につながります。男女が互いに尊敬しあい、助け合い、どうしても意見が合わないときは夫が家庭のリーダー。。。。これが聖書的な家庭です。このパターンは本当に差別に聞こえますか?区別です。妻に尊敬されている夫は幸せになり、その結果、家に帰りたくなり、家の手伝いや子育てをしたくなります。妻に尊敬されている夫は家庭を一番にします!

行政や社会の矛盾ってすごいレベルだと思いません?人権って言いながら、家庭内の秩序を壊しています。子どもが大人より偉くなり、みんな自分の人権(権利)を主張するだけで、何がよくなったんですが?虐待が増え続け、離婚率があがり続けています。男女平等のために、男女という区別を社会からなくそうとしている行政の活動でよくなったこと、一つでも思い浮かびません。

最近の社会の「普通」や「常識」が常にかわりますが、聖書は変わらない真理です。現代の風に惑わされない私の様な人を「差別的」だと言われます。はっきり言いますが、差別の意味が分かってない人に言われても構いません。同性同士が結婚するのが普通と思っている人に言われても構いません。どうせ差別の意味が分かってない人達だからです!私は変わらない聖書を信じ続け、天地万物を創造した神様に従い続けます。


11.10.2019

お互い様

私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。お前のうちに平和があるように。 詩篇121:8 他の人のために祈るのは大事です!ダビデは神の家のためにこれを祈りました。すなわち、神様との礼拝がうまく行くために。クリスチャンも毎日お互いに霊的成長のために祈るのは大事です! (イーサン)

11.09.2019

キリストが大祭司

また、全て祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけねえ繰り返しささげられますが、それらは決して罪を除き去るかとはできません。しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、へブル10:11-12 しかし がなかったら私たちはどうなっているでしょうか?調べると、旧約聖書の神殿で祭司が働く所には、椅子がありませんでした。すなわち、どんなにささげものをしても足りませんでした。かなり忙しかったようです。でも、キリストは一回だけ自分を全ての罪のためにささげたことで、罪の宥めの仕事は終わりました、そして、キリストは父なる神様の右に座りました。これは感謝しながら、22節が書いてあるように正しい生き方を頑張りましょう! (イーサン)

11.05.2019

神様が見ておられる

神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。 ヘブル人への手紙 6:10 口語訳 ヘブル6章は難しい内容で様々な解釈がある箇所ですが、この10節は以外とわかりやすかいと思いました。私たちの奉仕は自分の満足のためや、他の信者に褒められるためにするのではなく、主のためにする奉仕であり、神様はちゃんと見ておられます。

11.03.2019

街の見張り人

エゼキエル3:17 人の子よ。私はあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、私の口から言葉を聞く時、私に代わって警告をあたえよ。 続きの聖句を読むと詳しくわかりますが、街の見張り人が敵がやってくる時に警告を住民にするなと同じように、神様は預言者エゼキエルを遣わしました。エゼキエルは神様の裁きの警告をするようにと命じられました。神様の裁きが来る前に悔い改めのチャンスを与えなかったら、民が滅ぼされるのはエゼキエルの責任にされました。 今の時代に生きてる私たちでも、神様のため忠実な見張り人として、悔い改めるチャンスを未信者に与えましょう。 (イーサン)

10.31.2019

「無宗教です」はただの口癖。

皆さんにお聞きします。「お墓参り」は1)文化ですか? 2)歴史ですか? 3)宗教的な儀式ですか? これは簡単な質問だと思いますが、今日は那珂川市教育委員会に行って、元校長先生で指導員をしている者に聞いたが、彼は答えられなかった。答えがわからないからではなく、日本の行政が責任を取らない、曖昧な立場がすき、ということをあらわすだけです。

娘は公立小学校に通っているにも関わらず、正教分離を無視し、宗教の教育や行事などが多いです。自治体はどうでしょうか?年間行事のほとんどは宗教的な儀式です。そこに別の宗教の人が引っ越すとどうなりますか?自分の良心に反して儀式に参加するか、村八分にされるかの選択肢しかありません。

皆さんはどうですか?「無宗教です」と言いながら、考えずにいつも宗教の行事に参加していませんか?外国人が増えている今、または日本人で宗教に対して様々な考え方がある今です。宗教の儀式を考えずに行ったり参加したり、地域と宗教の行事を一つにすることをそろそろやめてくれませんか?明らかに(すこし勉強すれば)宗教の儀式なのに「文化です」とごまかすのをそろそろやめませんか?

宗教は宗教!文化は文化!歴史は歴史!
はっきりしてください。
白か黒です。
何でもかんでもグレイにするのは世界で日本だけだと思います。

私は誠の神様を信じています。イエス様以外には誰も拝みません!イエス様以外の天国への道はありません。どうせ皆さんは最初から宗教の多様を認めてないそうですので、はっきり言います。その通りです。多様はないです!唯一の神様は聖書の神様、天地万物の創造主!のみ!


薪がなければ火は消える

たきぎがなければ火は消え、 人のよしあしを言う者がなければ争いはやむ。 箴言 26:20 口語訳 人と人の間にトラブルが起きるときの多くの場合は、噂や陰口なども起きています。これは当然、問題の解決にはつながらなく、問題を確実に大きくします。私は火を大きくしてるか、消してるか?あなたはどう?難しいですね。

10.24.2019

一日中、聖書

どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。詩篇119:97 一日中!ですよ!聖書を読んで、少し考えて、祈って、終わり、というパターンが多いのではないでしょうか?そして一日中しなければならないことをしたり、心配しなくていいことを不安になったり、御言葉はどこ?って感じ。今日は、御言葉を一日中考えるという古くて新しい癖を試してみよう。

10.17.2019

御言葉に生かされる

これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。詩篇119:50 「これ」とは聖書のことです。この前後の説明も読むと、聖書の価値がよくわかります。私たちの感情が不安定な時や様々な悩みを抱えているとき、どんな時でも御言葉から逃げるのではなく、近づけるようにしましょう。

10.15.2019

できるないことがない

ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません。エレミヤ32:17 いつも賛美で歌っている聖句を見つけました。すべてを造られた神様があなたが認めるかどうかは関係なく、あなたをも造りました。神様ができないことはないと信じて、不可能と思われる大きなことをやりましょう。

10.08.2019

正しいことをすれば嫌われる国

先日、中学校でPTA役員している友だちから相談を受け、その方はPTAをこのように言ってました。「pta組織はカルト教とヤクザの間くらいな組織!」
那珂川市と「一緒や!」と感じました。
私がリーダーとして実行したPTA改革についての西日本新聞の記事が出てから、かなり変な空気が走ってる気がします。今まで応援してた人に無視されたり、かなりの人に嫌われたり。法律を守るって、そんなに嫌と!?外人でも理解できるのに、まだわからんと!?
私がやったことを信号に例えましょう!赤信号を皆さんが無視していて、私が赤信号を守りましょうね、と言っているだけ。
pta改革は当然、どこの学校がやらなければならない。なぜ、そうしない会長たちを許すのか?なぜ立ち上がらないのか?

「PTAの話しはなぜ教会のブログに書くのでしょう」と思っていませんか?実は、繋がりがあります。日本は「団体意識」で動く社会です。「何が正しいか?」ではなく、「皆がどう思っているのか」で個人の行動が決められる。これは、教会に通う人が少ない一番の原因です。

人間の考え方が常に変わりますが、神様の教えは変わりません。ですから、風に吹き飛ばされる葉っぱのようにではなく、信念がある人になり、自ら考えて行動しませんか?

5年ぶりに牧師としてのブログの再開します。聖書の知恵を交えながら、日本人が気付いてない矛盾や社会問題の聖書的な解決方法など、様々な記事を予定しています。

8.28.2019

良い香りのクリスチャン

しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識の香りを放ってくださいます。 2コリント2:14 神様の栄光のために良い香りを放つクリスチャンとなるためには、神様を知らない人達に良い証をしなければなりません。こんなふうに、福音のために生きているならば、神様は栄光を受けます。 (Ethan)

「真生留」

キラキラネームが多くて漢字が読めないこの時代ですから、私も「自分の名前の漢字を勝手に選ぼう」と数年前に思いました。最初はラインのIDに使っていただけですが、最近は仕事関係や名刺などでも使うようになりました。その漢字を選んだ理由を説明します。 真 (ま)  生 (いけ)  留 (る...